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セールスライターが「教室で生き延びる術」について考える

セールスライターの仕事は「買わせる」ことではなく「買わない理由をなくす」こと。
だから、人の心の機微を敏感に察知する必要がある。

最近、ライティングとは別に、自分のマインドと向き合う機会をいただいて、過去の自分に遡って記憶を紐解くことをしている。

ライターにとって、最初の読者は自分自身。
だから、無意識に自分が腹落ちする論理展開を意識しているはず。

自分の心のなかに、ライティングに活かせる要素がないか。
自分の経験に、読者の納得を引き出せるような気づきはないか。

そこで今日は「教室で生きのびる術」について思い出したことを書こう。




少し自分語りをしてみる。

振り返ると、幼少期の私は、少しクラスで浮いていたと思う。
理由はおそらく、少々大人びた子どもだったから。
大人には「優等生」に
同級生には「いいこぶりっこ」に
見えていたのではないかと想像している。

いじめられたりはしなかったが、
クラスメイトとは少し距離のある独特なポジションにいて、
それは決して居心地のよいものではなかった。

子どもの世界には子どものルールがあって、
それは教師が言う道徳的ルールとは程遠い。
道徳の授業でよきと教えられたことを実行しても
友だちの反応はつねに微妙だった。

「いいことだと教えられたはずなのに、どうしていいこぶりっこって言われちゃうのかな・・・」

小学生の頃は、いつもこの疑問が脳裏にあって、なんとなく落ち着かなかった。

とはいえ、クラス替えが行われるまでは周りの女子ととうまくやるしかないわけで。

どうしたらいいかなぁ・・・と、子どもなりに1年間を教室でやり過ごす方法について頭をめぐらせる。

そこで編み出した生存方法は

「むだにヘラヘラ笑う」
「自己犠牲による親切」


この2つだった。

「むだにヘラヘラ笑う」ことは、読んで字のごとく。
嫌なことを言われても、嫌な場面を目にしても、とにかくむだにヘラヘラする。

これを繰り返していると、不思議なことに、物事がいちいち大きくなるのを防げるのだ。

私にとって「ヘラヘラ」は最大の防御だった。

「自己犠牲による親切」も同じ。

自分がやりたくないなーと思うことは、周りもやりたくないわけで。


みながやりたくない役回りをさりげなく肩代わりすると、相手に少しの罪悪感を植え付けることができる。
だから、罪悪感分、私は優しくされる。

自己犠牲による親切は、ある意味「取引」なので、自己犠牲すればするほど優しくされる、比例した相関関係。


しかし「ヘラヘラ」も「自己犠牲」も、効果はあくまで一過性。
繰り返すにつれて静かに疲労が溜まってゆき、行き着く気持ちはこれだ。


「なんであたしばっかり・・・」

ヘラヘラが過ぎると、自己犠牲が過ぎると、だんだんひがみや怒りが湧いてくる。
これは本当にタチが悪く、周囲だけでなく自分にさえ攻撃的な気持ちが芽生えてしまう。

でも、さらにタチが悪いのは、子どもだけでなく、大人の世界も同様だったこと。

子どもの頃に「教室で生きのびる術」として編み出したはずの生存方法は、実は、大人になった今でも、いろいろな人が使っている「技」なのだ。




会議中、嫌な上司にチクチクと皮肉を言われても、むだに笑ってやり過ごしていませんか?

子どものお迎えに車を運転しようとすると、決まって便乗するママ友がいても「ガソリン代割り勘しない?」の一言を飲み込んで、平気な素振りをしていませんか?

自分も恋人とうまくいっておらず今すぐ帰りたいのに、子どもの体調不良で休んだ先輩の仕事をこなそうと、自ら率先して残業していませんか?

「たまには食器くらい洗ってほしい」と思いながら、私より夫の方が疲れているんだから仕方ないよねと自分に言い聞かせて、ワンオペ家事を続けていませんか?




へラヘラも自己犠牲も、人間関係を円滑にするコツとして、おおいに役立つのはたしか。
知っておいて損はないし、むしろたまには使うべき。

でも、一つだけあきらかなのは、この術に頼って生きていても、いずれ「限界を迎える」こと。

一見ヘラヘラしていても、心の奥の怒りや悲しみ、やるせなさは、見る人が見れば透けて見える。

「自己犠牲」と「親切」は、本来別のものであって、それを一括りにすること自体に無理がある。

さぁ、ここまで気づいたうえで、ライターたかはしとしてはどうしようか。

こんな、不器用で愛くるしい大人たちの心に刺さるセールスは、やっぱり「共感」だろう。

なぜなら、癒しの根本は「共感」だから

とくに女性は「共感」でつながる生き物。
女性の会話を聞いていると面白い。
5分に1回ペースで「それわかるー」を発言している。

でもこれは、無意識の自浄効果
やや大袈裟にでも共感しあうことで、日常の不平不満を慰め癒しているのだから素晴らしい。

これは書きながら気がついたけれど、「共感力」にはそこはかとない可能性があるように思う。

「共感力」でできること。
「共感力」で心をうごかすこと。
「共感力」で、売りたい人と買いたい人をつなぐこと。

もう少し深掘りして考えてゆきたい。


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