〈ダンス〉としての『ガールズバンドクライ』感想
24/5/15
『ガールズバンドクライ』1話みた。
3DCGの映像が小慣れすぎててヤバい。さすが東映アニメーション。国産アニメ見てる感じではない。(←オタクナショナリズム?)
軽率に中指立てるのヒヤヒヤする
監督の酒井和男さんはラブライブサンシャインの人か〜〜
酒井さん『BLEACH』ed17の絵コンテ演出もやってたらしい。ステレオポニー←ガールズバンド要素??
5/30
4話までみた。おもしろいです
6話まで観た
3DCGアニメって、やっぱりキャラクターの肉体性というか身体性がすごくクッキリと感じられて、自分にとっては良いダンスやカンフーアクション映像を見ているような楽しさがある。良いミュージカル映画を見ているときにも近い(ミネリ『バンドワゴン』)
5/31
8話まで観た
流石に監督の腕が凄いので『ラブライブ!サンシャイン!!』観ます……
劇中歌がどれもそんなに好みでないのも逆に映像(と音の合致)の魅力を存分に受け取るのに好影響を及ぼしているように思う。『けいおん!』もそんな感じ。
反対に劇伴は総じてずっと良い。ここの質が(亜)ミュージカルアニメとしての肝だと思っている。
6/1(土)
9話 トモちゃん回
やっぱこいつらダンスめっちゃうめぇよ……バンドじゃなくてダンスやるべき……と思いながら見ている
ここの仁菜のフラフラの挙動とか、ダンスとして上手すぎ
カンフーアクション映画みたいだとか言ってたらルパさんマジで蹴っててわろた
CGモデルの質の高さと演出の上手さは前提として、モーションの質がすばらしい。1人でもミュージカル/ダンス/カンフーアクション的な動きのモーションが魅力的で、かつ、キャラの身体同士が触れ合ってぶつかるときの処理の自然さがキャラの肉体性を増すとともにそれがまたダンスとしての質感を上げる。
そして人同士ではなく、椅子に座るとか飲み物を持つとかいった「キャラがモノに触れる」動作もまた細やかに描いており、こういうシーンを見ているだけでたのしい。
今話でいうと、仁菜がアコースティックギターを練習しているときの指で弦をつま弾く動作に、3DCGアニメとして/ダンスとしての良さが詰まっていた。
楽器を「弾く」とは楽器に「触れる」ことである。「バンドをやる」のは人間と人間がぶつかり合うことであるように。あるいは、生きるのが人間と社会のぶつかり合いことであるように。
3DCGで作られたモデル同士がたしかに「触れる」ことでダンスする身体の実在感が担保される。
ストーリーは順当におもしろい。深夜アニメというより実写ドラマっぽい質感でいい
6/16(日)
10話 熊本帰省回
dアニメストアニコニコ支店が観れないので仕方なくPrime Videoで視聴(スクショができない……)
ま~じで映像いいですね。各カットの構図のクオリティの高さと、劇伴と劇中SE(ギター音)を巧妙に配置するすばらしい音響演出と、3Dモデリングとそれを動かす技術どうなってるんだ。
仁菜さん、よく動くし顔がぷにぷにと柔らかく伸び縮みするのでカービィのように思えてきた。仁菜が動いているのを見ているだけで楽しい。
これって例えばアニメ『ぼざろ』の前衛的な演出(ぼっちちゃんの画が記号的に解体されたりするやつ)とは全然ちがって、3DCGアニメだからこその魅力があると思う。背景とキャラの融和性が高いというか。『ぼざろ』はむしろキャラが背景から浮き上がったうえで更にコメディ表現によってアニメーション的に遊離・解体される面白さを売りにしているんだけれど、『ガルクラ』は3DCGアニメだからなのか、仁菜のモデルがダイナミックに動いたりコメディ表現をとったりしても、それによって彼女がまわりの世界から遊離することなく、あくまでひとつの作品世界のなかで仁菜という人物が活き活きと動いているように見えて、それが自分はめちゃくちゃ魅力的だと思う。↑で書いてきた「触れること」による「身体の実在感」とも通ずる話だろう。キャラとその周りの世界(物体/背景)が、たとえ触れ合っていなくとも、少なくとも映像として、ひとつの画面のなかでは必ず「接して」いるのだから。
登場した熊本の駅→熊本駅・竜田口駅・水前寺公園駅(?)・洗馬橋駅
仁菜の実家の最寄り駅らしき竜田口駅は、調べたら、昨年このJR豊肥本線を「通って」いたのでテンション上がった。降りたってはいないけど……
とても良い「田舎」振興ローカルアニメにもなってしまった。
おはなしもとても良かった。保守的な人間なので、自分の家庭環境・親子関係のバックグラウンドからしても、めちゃくちゃ共感できる話。子どもにとって親は鬱陶しいもの。それでも「毒親」ではなくて、自分は十分に愛されている。父との確執の解消の物語。お母さんも優しいけどお姉ちゃんがめっちゃいいひとですね・・・
トゲトゲの東京-熊本ロードムービーも観たいな
11話 フェスライブ回
すげ~~~ このレベルの映像がこれからもどんどん作られていくのだとしたら、もう少し生きててもいいかな、という気持ちになるな…… 東映アニメーション以外に作れるのだろうか?
モブ観衆の処理どうなってるんだマジで。ヤバすぎる。カメラワークとライティング・撮影処理も凄いけど……
トゲトゲの曲自体はあいかーらず別にそんなに好きじゃない。あと途中で手書きアニメのMV風映像が挿入されたのはなんなんだ。ダサいだけだぞ
マイクチェック中のエンディング無しの先行スタッフロール演出には痺れた。
3Dアニメのなかで「小指を立てる」ことに意味を持たせるためには、やはりキャラの小指という身体そのものの実在感・重みを物語のなかで/映像のなかでどう立ち上げて作り上げていくかにかかっていて、『ガルクラ』はそれに成功しているのだと思う。
映像が良すぎて、正直ストーリーは二の次になってきている。トゲトゲがどうなろうが、仁菜たちがどうなろうが、このレベルの映像が最後まで観れるのなら何でもいいです。
ガルクラ10話で最後に父にタックルするのも、そういうことなんだよな……となっている。
お姉ちゃんとのあいだには、膝枕(を断る)、涙、鍵投げ……という、直接触れ合わないモチーフが一貫しているのも面白い。
11話のともルパのベランダシーン、楽屋テントでのになすばの小指ハンドシェイクは言うまでもない。ももかさんとは物体(ギター)を介して関わっているのが興味深い。
10話の実家自室でお姉ちゃんと話しているときの仁菜が壁に頭部だけを持たせかけて寝そべっている体勢なのもめっちゃいい。
こんなにおもしろい3DCGアニメないかもしれない。まさにこれ以降の自分のアニメの見方が変わるレベル。
「世界のなかでわたしの身体は世界とどう触れ合いながら/触れ合わずに関わっていくのか」が主題なんだよな。
ひとりの人間が「自分は間違っていない」と証明しようともがくさまをアニメで表現するためには、必然的にこうした形をとることになるとさえ言ってしまいたくなる。
仁菜たちを「ダンスがうまい」と言うのも、自分にとってダンスとはまさに「世界の一部である自分の身体が世界のなかで世界とどう関わるのか」を模索する営みだから。
↑のような解釈には、いま自分のアニメの見方のスタンスがよく表れている。簡単にいえば「メタファーとして解釈せずに、そのものとして観る」こと。(表層批評ってこういうことなのか無知なので分からない…)
「父へのタックル」とか「落ちる涙」とかを何かの隠喩として意味を見出そうとするのではなく、そのまま「物体(人間)同士がぶつかっている」、「涙が落ちている」シーンとして読んだうえで意味を見出したい。「小指を立てる」という象徴的な動作も、その象徴性ではなくて、ただ「小指を立てている」動作として解釈したい。
もちろん、真に「そのもの」なんて概念はナンセンスであり、こういう読みも隠喩とはまた違うなんらかの抽象化や一般化などの概念操作を含んでいることは明らかなのだけれど。
6/20
読みたかった情報の記事だった。
やっぱプリキュアEDダンスの人がCGディレクターに名を連ねてるのか…… とりあえず『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』観なきゃ……
そういえば「THE FIRST SLAM DUNK」も東映アニメーションだったか…… その文脈で見ないとなぁ
これだけ色々と興奮していて、けっきょく高フレームなのを「リアル」だと感じてるだけだったら身も蓋もなくておもろい。でも所謂「ぬるぬる」の神作画に必ずしもポジティブな印象を受けるわけではない、というのは、『トラペジウム』を観ての貴重な成果である……。
作中バンドに特に興味ないので見ていなかったが、CG映像は見ておかなければ……ということで確認したが、やはり特に良いとは思えなかった。
コンテ演出担当者が異なるのもあるが、「ミュージックビデオ」として演出されては、自分の思うところの『ガルクラ』本編の3DCG映像の魅力とは根本的に違うんだと思う。あくまで日常芝居のなかでのダンス性、CGキャラクターの物質性=偽のリアリティの仮構が大事。 吊り下げ式のマイクは良かった。
6/29(土)
12話
うーん…… 話がおもしろくなくなってきた。商業デビューするべきじゃなかったんや!
己の実存を賭けた「ロック」とビジネスの世界はどうしても相性が悪いよなぁ アイドルもののような空虚さを覚える。今話は明らかにそれを意図的に演出しているとはいえ。。
仁菜って神社仏閣好きなんだ。前からこの設定あったっけ? アニメで神社が出てくるの好きだけど、今回の出し方はなんか露骨さを感じてしまって嫌だ。商業デビューして不安で神頼みという「らしくなさ」を表現するための舞台だから、やっぱりこれも上滑りしていることが必然的ではあるが。。
CGダンス要素は……スタジオで仁菜が勢いよく立ち上がったときにローラー付き椅子が後ろにスーッと動いたのは良かった。あとはそんなに。
13話
えっ、これで終わり!?!?
爆速で事務所辞めててワロタ トゲトゲの選択としては嬉しいけど、1クールアニメの脚本としては失敗してるだろう。じゃあ最初から入るなと思ってしまう。
ダイダスVoのヒナとの高校からの因縁も、背景にあるいじめ要素も、すげぇ凡庸でつまらない。
ライブも1曲(半尺)であっさり終わってしまうし…… ラスト2話は尺が足らな過ぎ。
そもそもヒナがいらないと思う。仁菜の高校中退→上京→バンド開始というストーリーをうまく収めるためでしかない因縁キャラ配置。コンパクトにはなるけど、「プロ」の世界のスケール感は一気に失われる。しかも、ヒナが仁菜を煽りまくってきたように、商業の世界もけっきょく高校の元親友とのしょうもない因縁に基づくアマチュアの力学で動いている、という風に読めてしまい、じゃあ仁菜およびトゲトゲがすぐに挫折したプロの世界ってけっきょくなんだったんだ、と困惑する。
あと、これをいっては元も子もないのだけれど、「事務所に所属したがうまくいかずにフリーでやっていくことを決意する」展開をやっている『ガルクラ』が東映アニメーションというガチガチの巨大資本のもとで制作されて、しかもトゲトゲの声優陣もバンド活動プロデュースありきで選定されて、ゴリゴリに商業活動を行っている・・・という作品外の構造を見てしまうと、どうしても、うすら寒さ、グロテスクさを感じてしまうな。矛盾している。
あ~~~ラスト2話で台無しになっちゃったな~~~CG映像さえ良ければストーリーは二の次とか言ってたけど、そんなこと無かったわ…… というか、映像の魅力を思いきり受け取れていたのは話が悪くなかった(好みだった)からなんだな……と気付かされた。12、13話はCGも特に興奮しなかったもん。流石に最後のクラブチッタでのライブシーンは良いとはいえ短すぎたので。
なんやかんやで、けっきょくトゲトゲという「一生バンドやる」仲良しの5人組でつるめていれば仁菜さんたちは満足そうですね。美少女日常系とそんなに変わらない落としどころに思えてきた。
後記
12話からの手のひら返しが鮮やかでウケますね。とりあえず、3DCGアニメとしての質は一級品、キャラクターも魅力的、ストーリーも終盤まではかなり良かったと思います。自分の(3DCG)アニメ観を変えてくれた……というか、これまでも有していた価値観を顕在化させてくれた点で、自分にとって非常に重要な作品ではあります。
好きなキャラはルパさんですかね~。個別回が無かったのが逆に魅力を損ねずに1クール走り切れた結果につながっているのかも。
すばるさんも好きですが、「になすば」オタクの方々をTwitterで観測しているうちにだんだん嫌いになってきました。
P.S.
酒井和男×花田十輝の過去作『ラブライブ!サンシャイン!!』の第1クールを10話くらいまで観ていたのですが、そこでニコ動が落ちて、dアニメストア ニコニコ支店の民である私はそれ以降観れていません……(さっき数年ぶりに本家dアニに再登録したので近いうちに観まーす)
【追記】
観ました
3DCGアニメ映像について色々書いている記事↑