『ジョゼと虎と魚たち』アニメ映画と実写映画の感想
2020年の冬に公開されたアニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』のサブスク配信が始まったようなので、せっかくだから当時に書いていた感想メモをそのままコピペで投稿します。
2020/12/30 田辺聖子の原作小説(30ページ弱の短編)を読んだ。エンタメ小説と文学の間って感じ。終わり方がなかなか議論のしがいがある不穏というかあいまいな感じ。けっこう好き。
2020/12/31 アニメ映画版を劇場で1人で観た。
これは……少なくとも原作とは何もかもが違う。小説は文学だが、これは完全にクリスマスのデートフィルムとして分かり易く感動できる恋愛エンタメになっている。別物なので「原作のあの要素が無い!」等の批判は不当だろうが、正直キツかった。
主人公恒夫(ツネオ)のバイト先にいる友人が、チャラい同性の親友と、恒夫に気がある年下の女子という時点ではエロゲ臭がすごかった。恒夫は留学予定だからか恋愛に興味無い仕草をするし。
ただ、最終的にはクリスマスデートする陽キャリア充向けの単純な恋愛・夢追い讃歌になった。恒夫とジョゼの恋愛と、2人それぞれの将来についての問題が互いにすり替わりながら併走して最後には同一化するところなんか、典型的なリア充って感じでキツい。人生楽しんでそうなひとに向けて作ったんだろうな。
障害者であるジョゼが「健常者にはわからん」と言い放ち、恒夫との決定的な断絶を強調した直後にまさかの交通事故で恒夫まで脚がやられるアニオリ展開には参った。断絶があるならどちらも障害者にしちゃえばいいってか?最悪だ。しかも恒夫は割とあっさり歩けるようになるし。物語の起伏を増すために都合よく挿入されたハリボテの事故だった。
あと、恒夫が仲間に見守られながらリハビリを頑張っているシーンで挿入歌(Eve)を流して作画もダイナミックに動かして感動させようとするの、非常に危険だと思った。リハビリって実際は地味で長く苦しいもので、そこを地道に耐え抜くことで徐々に快方に向かうものだろうが、あのように映画のワンシーンとして感動的な演出を施して「うおおおおお」と恒夫が叫ぶことでリハビリを克服したかのように見せる演出は、根本的に事故や怪我や障害というものをエンタメのためのスパイスか何かとしか思っていないんだろうな、と感じる。バトルアニメで強大な敵を倒すために必殺技を放つときの「うおおおおお」シーンとあたかも同じように作ってしまってはいけないだろう。(でも、このシーンで感動できるひと、つまり日常的な生活・人生をあたかもエンタメ作品のようにとらえ、自分を少年漫画の主人公のように思い込んで生きているひとは存在しているのだろうし、この作品はそういう層を狙って作られたんだろうな、というのはわかる。)
バイト先の後輩女子が告って振られるのは予想の範囲内だったが、あんなにエゴ丸出しでジョゼに噛み付くとは思っていなかった。女同士の醜いキャットファイトをアニメで観るのは大好物のはずなのに、本作の三角関係に関しては全然のれなかった。後輩女子、かわいいとは思うが負けヒロインとしてのハリボテ感が凄くて残念だった。振られたあとにいい感じにチャラ男に慰められてくっつきそうな雰囲気を醸し出すところまで完全にテンプレの域を出ない。
あとお婆さんの死も、今作ではジョゼと恒夫の距離を近づかせるための都合の良い舞台装置としてしか機能していなかった。原作では恒夫がジョゼにしばらく会っていない時期に亡くなっていて、久しぶりの再会で祖母の死を知る、という展開だったのに。
そもそもジョゼと一緒に過ごすことに「バイト」という契約関係を導入したことが大きな改変で、そこから「お金なんか貰わなくても俺はジョゼと一緒にいたい!」と恒夫に言わせるまでの関係変化を描きたかったのだろうが、なんだかなー……。
改変といえば、ジョゼの両親が死別になっていたのもそうだ。原作小説では母が家出し、父に見捨てられている。こういう、ジョゼの人生を取り巻く「悪意」(虎)を巧妙に排して悲壮感や生々しさを消したかったんだろうなぁ。
ジョゼが絵描きの才能を持っているというのも……それ自体はまぁ良いとしても、あの劇中劇紙芝居の痛さは観ていられなかった。いや実際、自分を題材にしてこんなものを作って朗読してもらえたら、恒夫のように涙を流してしまうのだろうが、それを映画として外から鑑賞している身ではほんっとにしょうもない寒いことやってるなーという感じ。そこまでに恒夫など作品内に没入することが全くできなかった。リズ鳥でも思ったが、安易なアナロジーが読み込める作中作はほんとうに良くない。作中の現実世界自体が薄っぺらいおとぎ話のように感じてしまう。
原作小説の文学性、「私達は最高に幸せだ」を「私達は死んでいる」と言い換えて終わるような一筋縄ではいかない曖昧さ、解釈の難しさや人生の機微はいっさい排除され、ただ単にクリスマスデートをするカップルが何となく楽しめる程度の当たり障りのないエンタメ恋愛作品になっていた。
ただ、エンタメより文学のほうが偉いとか、分かりやすいより分かりにくいほうが価値があるということを言いたいのではなく、原作を徹底的に改変したのが悪いのでもなく、エンタメならエンタメで良質なものを作ってほしかった。作画や劇伴は良かったが、エンタメ恋愛劇としても強度のある面白い作品には到底なっていなかったと思う。今年観たなかではワースト映画。
昨日、12/30に家族で鬼滅の映画を観に行った(実家に帰ったら強制的に観に行かされた。TVアニメ1期まだ観てないのに!)のだけれど、ジョゼに比べればまだあれは良く出来ていたと再評価できた。いや、鬼滅は作品の思想がわたしとは相容れないだけで、客観的には大衆エンタメとして非常によく出来ているとは思った。 ジョゼは大衆エンタメとしてすらダメだと思う。。
同日
実写映画『ジョゼと虎と魚たち』(2003) U-NEXTで観た。
性を徹底的に排除して小綺麗な"純愛"に仕立て上げたアニメとは対照的に、こちらは原作より更に露骨にセクシュアルな要素を押し出して生々しい作品となっている。全体的に陽キャ臭というか、ヤンキー感が凄くてこれはこれで好みではなかった。
一言で言えば、主演の妻夫木聡がいい男過ぎるのが問題だと思う。上野樹里の前にも愛人か彼女か分からないが付き合っていて、とんだプレイボーイだと思った。まぁ妻夫木が格好良すぎるので仕方ないが。
嫌な女ポジションの上野樹里は良かった。殴り合いの場面は必見。ビンタした後に頬を差し出して一度はビンタされて、すぐにビンタ仕返して今度は頬を差し出さずに去るのが完璧すぎる。
くるりの『ハイウェイ』を流すだけで最高のシーンになってしまうのはズルい。禁止カードにすべき。
最後の映画オリジナルの別れる展開はなかなか良かった。妻夫木のどうしようもないクズなところ、「そんなに大層な人間じゃない」ところを積み重ねてきて最後にこうして結実するのは納得感とカタルシスがある。
原作小説のあの終わり方からいちばんありそうな現実的な展開だと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?