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TVアニメ『氷菓』(2012)感想



原作小説シリーズ未読

6年ほど前に12話くらいまで観て放置していた。今回ようやく最初から最後まで一気に観終えた。

まず、映像が良すぎるだろう。作画の最低水準がものすごく高くて、まったく崩れないし、なにより色彩効果も含めた画面処理がずっと素晴らしい。部室から一歩も出ない会話劇の回もあったけど、絵コンテ演出で飽きさせない。さすが京アニ、さすが武本監督、そしてキャラデザ作監の西屋太志さん。(ただ、謎解き時などの小洒落たイメージ映像はあんま好きじゃなかった。)

神山市・神山高校という舞台もとても良くて、校門の前に長く伸びる一直線の道の映し方とか、部室の窓から見える田園地帯や鉄塔や飛騨山地の風景の見せ方とか最高だった。

スクリーンショット (39561)

もちろん、そうした土地性・地域性は随所で物語に絡んできて、最終話「遠回りする雛」の千反田さんの言葉に集約される。

あと学校空間の描き方もすんばらしかった。とくに学園祭を描いた数話は、モブの動かし方まで魂がこもっていて、「学園アニメ」として完璧。学校空間に本気なのが京アニだからね・・・。

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ミステリーのことを何も知らないんだけど、このアニメを観て、あぁ「青春ミステリ」ってこういうことなんだ、とは納得した。単に学生に「日常の謎」を解かせることをそう呼ぶのではなく、〈探偵〉の自意識を、思春期の若者の自意識と結びつけて話を紡いでいく方針のことを青春ミステリと言うんだなぁ、少なくとも、"出来が良い"青春ミステリとはそういうものなんだろうなぁと感じた。この意味で、まさしく本作は名・青春ミステリだし、青春アニメの金字塔だと思う。

ものすごくウェルメイドな名作であることは疑いようがないんだけど、大好きと言い切れないのはひとえに自分がミステリが苦手だから。

なんていうのかな……名探偵役の男子主人公(折木奉太郎)が次々と真理を明らかにしていくのがウザい……というのとも少し違う。第一、本作はおそらくミステリ全般のなかでも比較的「探偵の暴力性」を批判的に扱っているほうだろう(通常レベルをしらんけど)。

具体的には、第8-11話(『愚者のエンドロール』)で取り上げられる、自主制作映画の結末を「推測」する話や、第19話「心あたりのある者は」の推理でっちあげゲームなどで、「探偵は単に真相を解明すればいいのではない」「〈真相〉とは原理的にでっちあげ可能なものである」というテーゼが取り上げられている。(これが有名な「後期クイーン問題」とどう関係するのか/しないのか、わたしはまったくわからない。)

序盤はHow done it ?からWhy done it ?へと単純に推移していたが、これらの挿話によって、今度はそもそも「真相」の存在や位置づけ自体を俯瞰して眺め、それにともなって折木や他の古典部メンバーたちの繊細な感情の揺れ動きを扱うことで正しく青春ミステリをやっていた、という認識。あとかなり道徳的というか、教育的なお話でもあった。18話「連峰は晴れているか」とかわかり易く教育的。(青春)ミステリの教科書という意味でも誠に教育的な作品だろう。

このように、おそらくミステリとしてもわりと高級なことをやってそう(トリックの高級さではなく、ジャンル論としての高級さ)だとは感じており、それは十分に評価すべきだとも思うんだけど、とはいえ、個人の好みとしてやっぱりミステリーは合わない。どんなに「真相」を相対化したり、探偵の暴力性や自意識に踏み込んで繊細な作劇をやっていても、そもそも、「謎」によって物語が駆動していることには変わりなく、おそらく自分はそれが肌に合わないのだと思う。たとえ最終的に真相が明らかにならずとも、「謎」が持ち込まれ、その対岸に「真相」という影がチラとでも意識されようものなら、最終的に物語がどう閉じられようとも、登場人物たちと「真相」とのあいだに生じる緊張関係が作品を満たしており、わたしにはそれが息苦しい。小説では(純)文学を好むのも多分そのせいで、意味不明なことが起こっても、それがどんな意味でも「真相」をはらむ「謎」たり得ないトーンの物語のなかでしか息が出来ないのかもしれない。

直接ミステリに関係ない苦手なところも挙げると、折木奉太郎と千反田えるの関係、応援できないっすねぇ〜〜〜。千反田さん、アニメキャラとしてものすごく可愛く描かれていて、その技術は尊敬の念しかないのだけれど、いやしかし、こういうものすごくフィクショナルな「美少女」キャラをそのまま素朴に肯定できるほどわたしは訓練されていない…… 引いてしまう。

女子を「謎」への好奇心いっぱいの「無知」ポジションに置いて、名探偵役に男子を置くのもジェンダー的にややうげぇとなるし。まぁ、一言でいえば「ひがみ」に尽きるんですけどね。(でも、ひがみってこういう青春アニメを観るうえでとっても大切な気持ちだとわたし思うんです!)

青春アニメでの両想いヘテロカップルのなかでも、応援できるものとそうでないものがあるんだけど、自分で基準がよくわからない。

本作のカップルが「こうだったら良かったかも」と思う要素は、まず、男子ではなく女子が主人公であること。(それだと『氷菓』にはならないし、千反田えるは主人公になりえないのも理解している。) ここで念頭にあるのは『花咲くいろは』とか。女子主人公なら男子に恋をしてイチャイチャ両想いになっても「ええやん……」となりそう。

あと、このアニメ2クールのなかでは、全然ふたりの恋愛は「恋愛」として名指されることなく、静かな立ち上がりで、最後も告白(プロポーズ)したと思ったら妄想だったオチでなぁ……。恋愛するならするで最初っから堂々とせい!(←暴論すぎる……) ミステリ要素と恋愛要素を繊細に掛け合わせているのはわかるんだけど、「しゃらくせぇ!!!」と思ってしまう。

言い換えると、このアニメには「恋愛の緊張」がなくて、かわりに「謎解きの緊張」だけがある。青春ミステリ的な自意識の問題も、「俺は本当にこの子と付き合っていけるのだろうか」という両想い前提の逡巡だけがあって、そもそも付き合えるのか、あの子は自分のことを好いてくれるだろうか、という前段階をすっ飛ばしている。はじめから、どうせこの2人が惹かれ合って付き合うんでしょ、というのがわかっているから、恋愛モノのジャンルとしては「高木さん」や「僕ヤバ」的なのに近い。そして今のわたしはそうしたお仕着せのヘテロカップルに素直に乗ることはできない。(破局しろ!寝取られろ!と思ってしまう)

そう、三角関係要素がなく、1対1の両想いヘテロカップルというお仕着せな感じもイヤだった。古典部メンバー4名が綺麗に2組のヘテロカップルに別れる「平和」な感じもなぁ…… 多角関係要素があれば男子主人公のヘテロ恋愛青春アニメでも大丈夫だったはず。(例:凪のあすから、あの花、true tears……)

というか、恋愛もののヒロインとして見たときに、やっぱり千反田えるというキャラクターが自分は受け入れられないんだと思う。面白みがない。絵に書いたようなお嬢様で箱入り娘で善人。初対面から男子主人公の顔に接近しているのに、折木を好きになりだすと赤面する……つまらん!!! な〜んの面白みもねぇ!!!!! ついでに奉太郎も好きになれるはずがねぇ! な〜にが「省エネ」だ!!! 名探偵やって美少女と両想いになりやがって……(これが単なるヒガミです)

というわけで、推しカップリングは福部里志と伊原摩耶花さんです。1話の時点からちゃんと「好き」な男子が決まっている女の子、最高なんだよな……CVかやのんだしよぉ〜〜。 なので第21話がいちばん好きでした。あれも謎要素いらねぇけど。

なので、とくに終盤のほうは、まっっったく応援できないヘテロカップルのイチャイチャを見せつけられる時間が続いて苦痛だった。

まとめると、学園青春アニメ好きとしては、「学園青春アニメ」の傑作であることは認めざるをえないんだけど、ミステリ要素と、恋愛要素(キャラ要素)がどうしても好みに合わないので、なんだかなあ~~という立ち位置のアニメでした。

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