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YOASOBI写像の(大衆への)一般化について


きっかけは、昨日見たこのツイートでした。

『税金で買った本』は母が集めていて実家で読んだことがあるため、たしかにそうだよなぁ、この作品の "本質" は「弁償」かもなぁ……と少し笑ったあとで、ツイート主がそこらへんの一読者ではなく原作者であることに遅れて気付いてまた笑ってしまいました。

いまや、原作者ですら「この作品がもしアニメ化してYOASOBIが主題歌を担当するなら曲名は何になるだろう?」という妄想をしている(ことを公言する)時代なのです。

こうした妄想は、実際にYOASOBIのアニメタイアップが発表されるたびにSNSで繰り広げられるありふれた話題になって久しいといえるでしょう。

↑ 現在進行形で議論を呼んでいるタイアップ・曲名 ↑

YOASOBIのアニメタイアップ曲のタイトルは、先のツイートの言葉を借りれば、その「物語の本質」を言い当てるような、きわめて簡潔な単語になるのが特徴です。

2024年5月12日までに判明しているYOASOBIのアニメOP曲を書き出してみました。

BEASTARS』2期 → 怪物
機動戦士ガンダム 水星の魔女』1期 → 祝福
【推しの子】』1期 → アイドル
葬送のフリーレン』1期 → 勇者
〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』→  UNDEAD

※わざわざ「OP曲」に限定したのは、『BEASTARS』2期ではエンディング曲「優しい彗星」も担当しているからです。

こうして並べてみると、その特徴は一目瞭然ですね。たしかに多くの人が「じゃあもし○○がアニメ化してYOASOBIが主題歌を書いたら何になるのだろう……?」という妄想をつい膨らませたくなるのも自然だと思います。

上記の特徴から、この妄想は必然的に「この作品・物語のメインテーマは、"本質" はなんだろう……?」という作品の基本的な読解・考察・批評にならざるをえません。だからこそ多くの人がやってみたくなる(やってみることができる)のでしょう。

じっさい、漫画『税金で買った本』の原作者は自作の本質を「図書館」いや「弁償」かもしれないと考えていました。原作者ですら "答え" を推量・妄想するしかないところが面白いですよね。

ふつう、作者が「この物語のメインテーマは○○です」と言ったら、それは "正解" として確定して、それ以外の解釈の余地はなくなってしまいます(少なくともそう捉えられがちです)。しかし「YOASOBIの主題歌」という妄想を迂回することで、主題の解釈が大衆へと開かれるのです。

YOASOBIの前では作者も読者も平等……

作品批評の民主化こそが「YOASOBIの主題歌」妄想がもたらす最大の功績だといえるでしょう。


さて、そんな「YOASOBIの主題歌」妄想について考えていたら、ふと思いました。

つまりYOASOBIって写像なのでは?

と。

図1:YOASOBI写像の概念図

なんらかの小説や漫画などの作品・コンテンツを「入力」したら、その作品の主題・本質を表すような簡潔な単語を「出力」してくれるブラックボックス、それがYOASOBI写像です。
(「写像」になじみがなければ「YOASOBI関数」と言い換えてもよいでしょう。ある作品 x を代入したら曲名 f(x) を吐き出してくれる関数 f )

より数学的に記述するならば

定義:YOASOBI写像
任意の(潜在的にアニメ化可能な)作品の集合を定義域として、その元(げん)を、その作品がアニメ化したときにYOASOBIが作るオープニング主題歌のタイトルに飛ばす写像をYOASOBI写像と定義する。

となるでしょうか。(細かいツッコミは無しで💦)

ツイッターで検索してみたら、やはり既に同じようなことを考えている人はいらっしゃいました。(先行研究の紹介引用)


せっかくYOASOBI写像として一般化したのだから、個別具体的な入力→出力の対応関係を考えるだけでなく、写像としての性質を考えてみましょう。

なによりまず検討しなくてはいけないことは、YOASOBI写像は果して本当に「写像」となり得るのか、という点です。

写像とは定義域の任意の元に対して終域の元をただ一つ対応させる機能をもっている必要があります。すなわち、ある「作品」に対して、YOASOBI写像が吐き出す「曲名」はただ一つに定まっていなければなりません。2つも3つも値があっては写像とは呼べないのです。

この点は、おそらく大丈夫でしょう。なぜなら、例えば『ボボボーボ・ボーボボ』のOPをYOASOBIが担当した場合の曲名として、われわれ非-YOASOBIが「"毛" かなぁ」「いや "ハジケ" かもしれない」とあれこれ妄想している際には候補が複数存在して一意に定められませんが、もし本当にYOASOBIが『ボボボーボ・ボーボボ』の主題歌を担当した可能世界(世界線)を考えれば、そこでは必ずただ一つの曲名を付けているに違いないからです。Ayase氏が「この曲のタイトル、"毛" と "ハジケ" で迷ってどうしてもどちらかに決められませんでした」と謝罪することは考えにくいです。

「ひとつの作品に対して複数個の主題歌を書き下ろす場合は?」という疑問は当然沸くでしょう。こうした可能性をひとつひとつチェックしていくのが数学の常道です。じっさい先述の『BEASTARS』では2期のオープニング曲とエンディング曲を両方YOASOBIが書いています。しかし、こうした前例をふまえてYOASOBI写像の定義に「"オープニング"主題歌」という条件を付けておいたので抜かりはありません。

もしも今後、例えば『BEASTARS』アニメの続編で再びYOASOBIがオープニング主題歌のタイアップをしたときには、現在のYOASOBI写像の定義ではエラーを起こしてしまいます。そうなってのちの数学者の仕事を増やさないためにも「ひとつの原作につき1YOASOBIオープニング曲タイアップ」を心掛けてほしいですね。全世界のアニメプロデューサー・関係者への提言です。


さて、ひとまずYOASOBI写像が写像として成立しそうである、としたときに、ではYOASOBI写像は全射/単射なのだろうか?という疑問はとうぜん調べるべき事柄でしょう。この疑問が沸かなかったひとはいますぐ集合論の基礎を復習してください。

そもそも、わたしがYOASOBIを写像とすることを思いついたとき「YOASOBIを写像としたときに単射性はあるだろうか」という問いがほぼ同時に生まれていました。これを考えるのが本稿の主旨です。

YOASOBI写像がもしも全単射だったら逆写像が存在するので、いろんな単語からいろんなコンテンツへと対応付けが可能である、ということになります。

図2:YOASOBI逆写像の概念図

ところが、おそらくこうしたYOASOBI逆写像は成立しません(⇔YOASOBI写像は全単射ではありません)。なぜなら、YOASOBI写像は単射ではないからです。

定理:YOASOBI写像は単射ではない

定理といいつつ厳密な証明はできませんが、単射性がないことのラフな説明はできます。

その前に「単射(たんしゃ)」とはなにか軽くおさらいしておきましょう。

単射とは、行き先にダブり(被り)がない写像のことです。
ひとつでもダブりがあれば、その写像は単射ではありません。

図3:単射の定義と概念図(秋田県立大学 草苅良至氏の線形代数学(2005)講義資料より)

簡単にいえば、「アイドル」という曲名をYOASOBIに書き下ろさせるような作品は『【推しの子】』だけだろうか? また「勇者」という曲名をYOASOBIが付けるようなコンテンツは『葬送のフリーレン』ただ一つに限るだろうか? 「祝福」は、「怪物」は……? ということを調べれば単射性がわかります。

ふつうに考えて、アイドルもの全般に「アイドル」という曲をYOASOBIが書き下ろす余地は大いにあり得ます。YOASOBI写像はその作品の主題・本質を示す(と考えられる)のでした。したがって、アイドルを主題とする作品はYOASOBI写像の値(曲名)が『【推しの子】』と同じく「アイドル」になると考えるのが自然です。アイマスでもラブライブでもリステでも推し武道でも、もしYOASOBIが主題歌を担当したら「アイドル」を付けていたであろう可能性は排除できません。

「いや、『○○』の本質は「アイドル」じゃないからYOASOBI写像の値は異なるはずだ!」と言い出すオタクが容易に想像できますが、そんなことを言ったら、YOASOBIが『【推しの子】』に「アイドル」という曲名を書き下ろすと誰が予想できたでしょう。〈物語シリーズ〉に「UNDEAD」と…… Ayase氏のネーミングセンスは常人には理解できないからこそYOASOBIがこんなにも業界を席巻しているのです。あまりにも直球すぎるタイトルになる可能性が大いにあるのがYOASOBI写像の暫定的な特徴であると全オタクは胸に刻みましょう。

同様に、勇者一行をメインキャラクターとするファンタジー冒険モノ全般に対して「勇者」というYOASOBI主題歌がつく可能性があります。したがって、YOASOBI写像は単射ではない可能性が高いです。

「一度「アイドル」という曲を書いてるんだから、次に他のアイドル作品のタイアップをしても主題歌を「アイドル」とは名付けないだろう。だからYOASOBI写像は単射ではないのか?」という指摘はごもっともです。しかしながら、この指摘は退けることができます。

(現在の)YOASOBI写像の定義では、定義域の元の入出力の時間的な順序関係の情報は含まれていません。つまり、ある作品のYOASOBI主題歌名を考えるときに、すでに過去にYOASOBIが手掛けた(=入出力が完了した)元と値の情報を前提にしてはいけないのです。それが基本的な写像の考え方です。いったん『【推しの子】』にYOASOBIは「アイドル」という曲を書き下ろして大バズさせたという現実の歴史は棚に上げて、まっさらな状態で、アイマスには、ラブライブには、どんな "本質" のタイトルを付けるんだ……とすべてのアイドル作品について考えていったときに、果たして「アイドル」にならないと言い切れるコンテンツが存在するでしょうか。もちろん実際のところは分かりませんが、妄想ネタとしてYOASOBI写像を定義したとき、やはり単射性はない、と言い切ったほうが現行のYOASOBIタイアップ曲の実情に即しているとわたしは思います。

単純にいえば、『BEASTARS』には「怪物」、『【推しの子】』には「アイドル」、『水星の魔女』には「祝福」、〈物語シリーズ〉には「UNDEAD」と、YOASOBIはその作品の大まかな抽象的な主題を曲名にする傾向にあるため、複数の作品に同じ曲名を与えるようなダブりが発生すると考えるのは自然だよね、だからYOASOBI写像は単射ではないよね、ということです。

YOASOBI写像は単射ではない。よって全単射でもない。よってYOASOBI逆写像は存在しない……と、このように推論を進めることができます。

ちなみに全射性については、終集合(終域)の定義による、としか言いようがありません。

もしも終域を「すべての単語の集合」とした場合、どうあがいてもYOASOBIが曲名には採用しない単語が無数に存在すると考えられます。(「パイズリセックス」や「天皇制廃止」というOP主題歌をYOASOBIが書き下ろすでしょうか?) よってこの場合、YOASOBI写像は全射ではない、ということになります。

しかし、終域をあらかじめ「YOASOBIが曲名に採用し得る単語の集合」に定めておいた場合(⇔終域と値域を一致させた場合)は、自明に全射となります。

全射性の有無がいずれにせよ、単射ではないことは分かっているのでYOASOBI写像は全単射(一対一対応)にはなり得ません。

余談ですが「花言葉」を「任意の花を任意の(エモく意味深な)言葉・意味に対応付ける写像」と考えて、その逆写像「言葉花」(=任意の言葉をある特定の花に対応付ける写像)の性質についてときどき考えを巡らせています。ただし、花言葉はひとつの花に対して複数の意味が存在することが多いため、このままではそもそも写像として成立しません。これが、私が花言葉ガチアンチである4つ目の理由です。


まとめ

さて、以上のことから

・「YOASOBIのアニメ主題歌名」妄想はYOASOBI写像として一般化できる
・YOASOBI写像は単射ではない
・YOASOBI写像の大衆への一般化は作品批評の民主化の契機となる

ことが言えました。(3つとも文末に「かもしれない」を付けて読むのが正しいです)

皆さんも、自分が好きな作品をYOASOBI写像に入れたらどんな値(曲名)が返ってくるのか妄想してみてください。『BLEACH』はたぶん「死神」だと思います。『ちはやふる』は「かるた」か「百人一首」、それとも「歌」でしょうか。

YOASOBI写像、あるいはYOASOBI関数の「一般化」に関する研究が今後ますます発展することを願って、このnoteを終わらせていただきます。




勝手にツイート引用したお詫び(?)として貼っておきます。『税金で買った本』面白いですよ~~ 読書好き・図書館好きは読んだほうがいい。



おすすめの集合論の入門テキスト

(私が持っているのはどちらも旧装版)

出版前レビュアーとして携わらせて頂いた結城先生の『群論への第一歩』は第2章で丁寧に写像について導入・説明しているのでたいへんオススメです。「数学ガール」シリーズももちろん超オススメです。




これまでの数学関連note

(これもう3年半前か……)


そのほか


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