映画『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』と『アンサンブルコンテスト』を観返した
アニメ『ユーフォ』シリーズを、3期視聴に向けて最初から観返そうシリーズの続きです。
『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』(2019)
↑最初に映画館で観たときの感想……を思い出して数年後に書いた文章↑
7/28(日)
『リズと青い鳥』に続いて観た。こちらも、映画館で観て以来5年ぶり2回目の鑑賞
いや~~~ やっぱり『誓いのフィナーレ』最高だ~~~!! ユーフォシリーズでいちばん好きかもしれん。
ひと癖もふた癖もある面倒な新入部員の後輩たちが新しく加わって、その扱いに苦しむ先輩…… というのは、部活モノの鉄板ですね!
久石奏、実質『ちはやふる』の田丸翠なんだよな…………と思いながら観ていた。実力のある生意気な後輩キャラ。
カベちゃん先輩のくだりも泣いた。「ちょっとほっとした自分もいる」と言う先輩、『みすずの国』のみすずなんだよな………
サンフェスでチューバの美玲ちゃんが「陥落」したとこ、「鈴木美玲が堕ちたようだな……しかし奴はめんどくさい後輩四天王のなかでも最弱…………」という台詞が思わず脳裏によぎった。
じっさいは美玲の前に、コントラバスの求くんがみどり大先輩に陥落しているけど。求くん飼い馴らされた犬みたいでほんとかわいい
なんなんですかね。やっぱり自分は「部活」という営み、現象がかなり好きなんだと思う。1年ごとに卒業しては入部してくる先輩-後輩たち。長くても3年間しかない期間に、一緒に青春の多くの時間と労力をつぎ込む共同体。
今年もやりやがった、滝先生の自称「合理的な方法」の挙手多数決とか、ほんとうに暴力的で全体主義的でグロテスクなところが根底にあるのはわかっている。でも、全体主義フェチというか、軍隊フェチというか(マーチングバンドはモロにそう)、人間にはそういうフェティシズムがあって、「部活フェチ」もその亜種なんだと思う。大きなものに所属し従属し、価値観を継承していく共同体の営みそのものに覚えるフェティシズム。ナチスが大衆を扇動し篭絡したのもおそらく同じ構造だろうから、決して倫理的に肯定すべきではないんだけど、生理的・感情的に "好き" なんだよな。
「悔しくて死にそう」という台詞が、1年ごとに、麗奈→久美子→奏 と偶然に受け継がれていくことに感じる生理的な快感。「わたしたち」という一人称複数の共同体に、またひとり取り込んでやった、屈服させて従属させてやったぞ!という暴力的な快楽。『ユーフォ』シリーズはそういうものを的確に突いてきていると思う。だから批判すべきところはマジでちゃんと批判すべきなんだけれど、「好き」ではあるんだよな、どうあがいても。わたしも屈服して陥落した側の人間なので。
部活フェチは〈学校〉イデオロギーへの執着とも当然に繋がるが、これは掘り下げていくと生殖イデオロギーに基づいているだろう。なぜなら「1年ごとに新入生/新入部員が入ってくる」ためには、つねに子どもが再生産され続けなければならないのだから。
ということで、この『ユーフォニアム』シリーズにおいて、「百合」だけでなく、ヘテロ恋愛要素も描かれる必然性がある。生殖イデオロギーと関係せざるを得ないものとしての異性愛。
本作では冒頭から久美子と秀一の「告白」といったんの成就に始まり、後半では恋愛関係を暫定的に解消して、部活に集中する選択をする(こんな決断ができる高校生がいったいどれだけいるのだろう……)。あがた祭りでのデートシーンはベタに青春すぎておじさんテンション爆上がりだったが、そのあとで、はるかに湿度の高い、麗奈と久美子の大吉山での「デート」があり、麗奈がトランペットを吹いているあいだ久美子が秀一とLINEしてる描写にクソ笑った。いやそこは聴いてやれよ。マジでここのヘテロと百合が絶妙に交錯している三者関係すばらしいと思う。『誓いのフィナーレ』でのくみれいは結構許せる(「許せる」って何? 何様?)。
北宇治高校が共学で本当に良かったと思う。求くんと秀一の関係など、吹部の男子たちの連帯も、チラッと映るだけでも相当にくるものがある。北宇治が関西大会で実質「負けた」相手である、求の父が率いる龍聖学園が男子校なのもかなり大事だと思う。男子たちの「青春」に、「私たち」北宇治は負けたんだ、と。
部活内の人間関係の緊迫したやり取りの数々をずーっと描いてくれていて、マジで楽しすぎた。「うひょ~~~~ww た~~~のしぃ~~~~!!」と、画面の前で立ち上がって踊りながら観ていた(比喩ではなくマジで)。やっぱり映画はひとりで自宅で観るに限るね! 『海がきこえる』を観てるときの楽しさに似ている。マジで性癖なんだと思う、こういう人間関係の描写が。
ラストシーンまでそうだったけど、一人称カットがスマホで撮っているような縦長の画面サイズである演出が一貫して新たに用いられていた。最後の奏視点のやつだけ本当にスマホで撮ってるってことなのだろうか。久美子視点のカットはスマホで撮っている感じではなかった。
『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』(2023)
↑『アンサンブルコンテスト』は初見感想noteが投稿されています↑
7/29(月)
2回目の鑑賞
初見のときよりもだいぶ評価がマシになった。あのときは単純に、アニメ『ユーフォ』シリーズを数年ぶりに観たので、それこそキャラも話も忘れてるし、絵柄や演出のトーンなんかのチューニングがまったく合っていなかったんだなぁとわかった。一方的にこっちが悪いのに酷評しちゃってごめんよ……(それはそれでひとつの大切な鑑賞体験であり感想なので、取り消す気は毛頭ないけど♪)
当時書いた「こんな萌え萌えしたキャラデザだったっけ?」って、1期から順に観返している今見ると何言ってるんだこいつ……って感じです。
くみれいとなかよし川の百合カップリング描写だけは変わらずに辟易した。イライラした。
教室の窓際の席に座って久美子が脛から下だけを揺らしている描写で、上半身がまったく動いていないのが不自然だと感じたのも初見同様。でも久石奏さんの「パンチ」動作には初見時ほどの魅力は特に感じなかった。
あとは……本作は前提として、このあとのTVアニメ3期(3年生編)のための下準備の物語、という位置付けなので、本作単体でめちゃくちゃ感動したり深みに唸ったり……というのが無くても当たり前で、ウェルメイドな「つなぎ」の章ですね、という印象。(3期で久美子よりユーフォが上手い新入生が入ってくるんだろうな~~とワックワクしますね……!)
久美子が吹部の最上級生になり、部長になり、演奏技術も熟練して、ようするに「エリート」の立場になった者がぶち当たる苦悩や困難を描こうとしている。だから、アンサンブルの足を引っ張っているメンバーに久美子が的確なアドバイスをしてあっさり解決してしまう展開などはちょっと出来過ぎていて嫌気が差すのだけれど、それも仕方ないよなぁと納得はした。歳を取って学年が上がって先輩になるということは、否応なく、そういう「ウザさ」を身に纏ってしまう。久美子はそれを引き受ける決心をしている。立派だと思う。
マリンバが3DCGで見事に表現されていたのは印象的だけど、全体的に、他の楽器も人物も、CGなのか手描きなのか判別がつかないカットが多くて、ユーフォシリーズを通しで観ている身としては新鮮だった。
おそらくシリーズで初めて、山田尚子が演出等に関わっていない。みぞれの「窓を開ける」云々とか、山田尚子なら絶対にしないよな~と思う。
マジで3期を見るのが楽しみ過ぎて……!
今すぐに見たいので、この記事はもう終わりま~す!!
【追記】