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『白昼夢の青写真』プレイ日記④CASE0~全クリア


ラストです。




最後に「まとめの感想」を書いたので、そこだけ読みたい人は目次↑から飛んでください。他の人の感想記事を思い切り取り上げての(一方的な)応答もやっています。



・CASE0 世凪編

1時間程度で終わるのか。
CASE0オープニング

海斗は発明家志望でクルマを作っている。

上層/中層/下層 空に浮かぶ地下都市。地上も海も風も知らない人々
人口遺伝子でアンチエンジング
文字通り「車輪の再発明」

シェイクスピアに夢中の世凪。性格はすももに似ている。根明で気が強い。仕事が好きだから下層民であることに満足している

歴史の授業。パラグルコースとその解糖系の発見。2071年? 脳だけにエネルギー源となる人工甘味料として爆発的な普及をするが、生殖細胞の遺伝子を変異させていた。
3DプリンターでSUV完成→即破壊
トルティーヤ食べたくなってきた
自身の見た記憶を手を繋いだ他人に送信できる世凪の能力
記憶だけじゃなく理想を想像/創造できるのか。これで桃ノ内すもも達、CASE1~3のヒロインは生まれたと。

絵本『カイトの大冒険』を書いたの世凪の親なのかな
ハレー彗星。一度読んだ本の内容を忘れない能力。これらも既出のCASEの要素だ。
スチルとかを使い回せる利点もあるのか? 各章が最終章の「夢」である構成って。


地上の鳥に出会う。CASE1での「夢」通りだ。人工鳩でいいのかな
メラノーマ。遺伝子変異で日光に極端に弱くなった人類。なのに海斗と世凪は無事?
仮想現実に地上を作り疑似移住させる遊馬校長先生の研究。そのために世凪の能力が重要になるのか


青空と海と鳥。『AIR』から連綿と続く、エロゲにおけるこうしたモチーフの系譜について。最近ではライト文芸・ブルーライト文芸やアニメ、映画にも波及しているけど、それでもなおノベルゲームという媒体がもっとも相性がいいのだろうなぁ。
まだ「ほんの序章」に過ぎないのか。1時間程度で見終わるんじゃなかったのか。


青年編

十年以上も世凪と海斗はふたり暮らし。海斗の母を世凪が追い出した(バトンタッチした)形

kawaii

これまでの3つのCASEが世凪の「書いた」小説だというのはなかなかに重要な設定だ。全て男性主人公の一人称ではあるが、ヒロイン側の視点が時々挟まっていた。というか、どの物語も最終的にはヒロイン視点で終わっていたような。語り手の位置を男性から女性が乗っ取る物語として読める? まぁあまりに筆者の性別と作中人物の性別の相関を気にするのも問題だが。

エロゲー思考空間
入麻。CASE1の同僚、渡辺に似ている

世凪「海斗と一緒なら、私は下層でも幸せ」

下層/仮想の言葉遊びはさておき、壮大な夢へ向かって上昇志向で努力を続ける男性(≒夫)と、現状に満足しておりその維持を志向する女性(≒妻)というジェンダーロールのステロタイプがなぁ…… 毎日労働しているから「主婦」ではないにせよ。空想的な小説執筆が「趣味」であり、自然科学などの学問への興味関心は薄い造形もなんだかなぁ。
ちなみに、「主婦」代わりの料理人は女性型アンドロイドの出雲が担っている。人から機械へと家事労働ロールが代替されてもなお残るジェンダーの枠組み……

嗅覚の有無がそんなに重要なのか。
なんか思考空間や仮想空間のメカニズム、研究の方針がめっちゃ丁寧に語られるな。SFだ。リープくんも出てきた

CASE3の桃ノ内すももが世凪の初めて書き上げた物語なのか〜
オリヴィアってシェイクスピア作品のキャラの名前なのか。何?
梓姫さんとか、ふたり以外のキャラは出雲が演じてたんだ……w

でも面白いな。つまり、CASE1~3はこれまでそういう「物語」としてプレイヤーは読んできたわけだけれど、ここで海斗や世凪はこれらの思考空間を、来るべき仮想空間のためのデータ取得・フィールドワーク用の素材として利用している。つまり、「物語」を文字通り脱構築しているとみなせる。(実際にはこれから海斗たちの記憶喪失実験が始まるわけだから順序は逆だけど)
だから、ここではゲーム的空間として「物語」が体験されている。これはまさにノベルゲームそのものの隠喩ではないか!?

あと、設定されたキャラを「演じる」のはそのまんまCASE2の演劇モノに通じてくる。あれは二重の演技をしていたわけだ。世凪がオリヴィアを演じて、そのオリヴィアがハムレットやジュリエットを演じるのを演じる……という具合に。

世凪「だからね、わたしが書く小説は──わたしが経験した気持ちとか感情に直結してる物語なの」

でもこれなんだよな。『白昼夢の青写真』において、創作とは虚構を作る営みであると同時に、あくまで作者の何らかのリアリティがそのまま反映されたものとして称揚される。

へ〜。桃ノ内すももよりカンナが歳下なのは、出会ったときの海斗が世凪にとっては歳下に思えたからだという。そういうことか。じゃあ逆にCASE1の凛と有島で年齢差が反転してるのは世凪のどういう感情の反映なんだろう。


スペンサー(出雲)「当時の貴族は倒錯的な嗜好をもっていた人が多いんだよ、SEXUALITYに関しては特にね」
世凪「そうなの!?」
海斗「うーん、誰も得しないリアリティ」

事実はさておき、「セクシュアリティ」という単語がエロゲ内で出てくるだけでテンション上がっちゃうなぁ。「誰も得しない」はずはなかろう。


白昼夢のように鮮明な夢。白昼夢を作るための青写真。タイトル回収。白昼夢の青写真ってそういうことか、いいタイトルだ。

世凪の秘密ってなんなんだろう。長生きできないとは海斗母に告げていたけど。
中層への移住のために結婚しようとプロポーズする海斗。すれ違うふたり。……なんだか『花束みたいな恋をした』のようなベタな感じになってきた。
世凪は元中層民だった。これも『花束』の絹が都内の箱入り娘だったのに相似している。

にしても海斗の心情の描写がちょっと雑すぎやしないか。無理に頑張って二人の仲に亀裂を走らせているように見えてしまう。
地上や空のまだ見る世界に到達するために成り上がりに執着する海斗は『進撃の巨人』のエレンっぽくもある。復讐心ではないが。

世凪の父:汐凪(しおな)は遊馬先生の共同研究者で天才だった。しかし記憶や自我を失う病気にかかり、世凪もろとも下層に落ちた。そのとき、世凪の母だった女性は汐凪と離婚して別の男性研究員と再婚することで中層に留まった。だから世凪は自分や父を裏切った母を憎んでいるし、下層民であることに誇りを持っている、と。なるほど。

既得権益にしがみつくために男を乗り換えるエゴイスティックな女性キャラかー……これもまたひとつの女性差別の産物だ。「母」はこうあるべき(/ではない)という差別的な規範も絡んでいる。CASE1のラストで妊娠発覚した凛が有島に告げずにひとりで子を産み育てようと決意したのも、そうした世凪の「母(たる資格がない女性)」への反発から来るものだった節があるのかな。

世凪は下層民の労働を「仕事」と呼んで誇りと愛着を持とうとしてきた。労働と仕事の差異か……
アルツハイマー病か。
自分の感情の外付け記憶媒体としての小説。なるほど、だから世凪にとって創作物は作者の生の感情の投影であるべきなんだ。

だから──
別れの物語じゃないと、ダメなの。
わたしは──その悲しさを、誤魔化したくないの。自分が、とても悲しい気持ちの中にいるって、思い出させてあげたいの

なるほど。だからCASE1~3は全て別れて終わる話ってことか。
いずれ全ての感情や記憶を失っていく世凪にとって、悲しささえも、悲しさこそがいちばん忘れたくない大切な感情である。これは、全てをずっと覚えていてしまう忘却障害の海斗が、たとえ仮想空間であってもその人にとって幸せな夢想ならば現実よりも優先されるべきだという価値観とキレイに対照的だ。

世凪の造形は、それこそ『AIR』のような古典的な病弱ヒロインの系譜だが、そんな彼女が未来への自分への餞(はなむけ)として書いた物語がそのまま作品の前半部分に配置されるというメタフィクショナルな構成は現代的なのかもしれない。物語の作り手が男主人公ではなく、ヒロインが愛する男(主人公)に向けて物語を綴るのでもなく、ヒロインが過去/未来の自分自身に向けて物語を語ること。『すずめの戸締まり』なんかも思い出す、SF作品における女性の通時的な自助/自立を肯定する話。

で、そんなアルツハイマーの世凪の記憶を取り戻すために海斗はこの実験を行うわけか。段々つながってきた。

世凪の母(汐凪の元妻)は梓姫や祥子、エリザベス女王にそっくり。CASE1での凛の祥子への並々ならぬ敵対心はこれか。自分が好きになった有島という男(父親)から、その妻の座を奪い取る物語。あまりにもそのまんま過ぎる。
でもCASE3でのすももと梓姫の関係を鑑みるに、世凪も母としてではなく気のおけない友人としてなら自分を産んだ女性のことを愛せるかもと思っていたのかな。そう考えるとCASE3がますます好きになるな……
「わたし自身のことを書いてる」、「父親に向き合ってもらえないまま、孤独になった女の子の話」がCASE1の波多野凛だと。

でも、なぜどの話も世凪の自己投影先である女性視点ではなく海斗に相当する男性視点なんだろう──と思ったけど、それは海斗が世凪の物語のレセプターとして見ているからか。

つまり、やはり本質的に世凪の書いているものは「小説」ではない。ひとつの物語世界であって、その中に生きるどの人物を視点として物語るかは、思考空間への介入者に依るってことね。だから、世凪にとってはやっぱり凛やオリヴィア、すももとしてあれらのCASEの物語を体験しているのだろう。それは小説というよりノベル"ゲーム"に近い。すなわち、『白昼夢の青写真』はノベルゲームの創造主としてのヒロインを描いているノベルゲームだということだ。

このように、世凪をベースとして本作(CASE0)を解釈するとかなり良いんだけど、あくまで海斗をベースとして読むと、やっぱりめちゃくちゃ凡庸な病身ヒロイン看護純愛モノで残念に思えてしまうんだよな。

二人の時間を、世凪が忘れてしまってもいい。それでもおれは、限りある時間を世凪と過ごしたい。

ヒロインが自分との思い出を忘れても、男主人公は全てを覚えていて、それをヒロインに語り聞かせ続ける──一見感動的だが、これはヒロインとの記憶を男主人公だけが「所有」することによってより徹底的にヒロインを所有する構造でもある。また、向こう(ヒロイン)は自分のことを知らなくて、自分だけがヒロインのことを知っているという一方通行の関係はそのまま2次元美少女と男性オタクの関係、すなわちエロゲ(美少女ゲーム)と男性プレイヤーの関係のアナロジーである。
だから、世凪がノベルゲームの作者の隠喩だとしたら、海斗はノベルゲームのプレイヤーの隠喩である。


「わたし、子供産まないよ。同じ想い、させたくないから。
 海斗になにも残せない。ただ……海斗の時間を奪うだけだよ」

これは反生殖主義に見せかけて、病気の遺伝を危惧してのことなので優生思想に近い。しかも「なにも残せない」という文言は裏返せば子供とは妻が夫に与える報酬のようなものであるという価値観が前提にあり、とても恐ろしい。まぁここでの世凪の心情を考えると、これ自体をそんなに糾弾すべきではない(あくまで海斗を説得するためのパフォーマンスであり本心とは限らない)けれど。

また、こうした世凪の思想を背景としてCASE1の凛の妊娠を振り返ると、より一層重いものがあるな…… 凛には世凪のような遺伝性疾患は無いけど、かなり自己投影しているキャラではあり、本当は子供を産んで母になりたいという想いと、自分が良い親になれるはずがないという想いのアンビバレンスが表れている結末ってことかなぁ。


初キスの構図がこれまでのCASEと同じ。
子供を作りたくないのに避妊具付けなくて大丈夫か。生殖可能性を0にしたかったら挿入行為自体を断ったほうがいいけれど、そこはまぁエロゲだしな……
……えっ!? 普通に中に出してないか? 「子供産まない」宣言はどこ行ったんだよ。わろた(笑い事ではない)


夫婦生活編
海斗は最年少で室長(海斗研の長)になっていた。
これまで通り下層に暮らし、中層の部屋をふたりの密事の場にしている。

相変わらず、研究内容をやけに具体的に描写するな。ほとんどの読者はそこまで興味無いと思う……少なくとも自分は。
あと単純にCASE0長いな。しかも、海斗たちの仮想空間研究が徐々に進み、それと並行して世凪がじわじわと記憶を失っていく過程を丹念に追う、いうなればあんまりアップダウンが激しくないプロットなので退屈を覚える。
そして、大筋としては世凪というひとりの女性を犠牲にして街のみんなを疑似移住させる仮想空間を実現する、といういつもの人柱ヒロインセカイ系の建て付けであることは違いないので、そこでもうんざりする……

世凪のノンレム睡眠時の思考空間で、海斗は凛、オリヴィア、すももに会う。この3人はそういう世凪の複雑な心境の戯画という役割があるってことね。

入麻、いいヤツ過ぎて怖いな……渡辺のときも思ったけど。こういう男とのNTR三角関係が読みたい!!(現実逃避


遊馬先生、空想的社会主義者みたいなこと言ってる。

わ、すごい。スチル内のディスプレイに動画が流れている。

海斗「……有島の行動が、私の常識の中にないもので、なかなか同一化できないんだ」

草 それはそう。非常識な有島さん

……なんだかひたすら、CASE1~3までを夢に見るという物語構成を内在的に理屈付けようと泥臭く設定を付けていく作業が続くな。読者としては退屈だ。「……なるほど! そういう理由でCASE1~3があったのか!」と納得したりはしない。

出雲のアドリブ能力が高すぎる。さすアンドロイド
物語の細部はおおもとの作者である世凪の想定とはだいぶ異なっていたということ。

倫理観と欲望と理想。それが3つのCASEに対応していると。えーと、どれがどれだ?
40%の進行度が一つの閾値。……これが、導入部とその後を分ける分水嶺だったってことか。たしかに4割くらいだった気がする。

ここでパッケージイラストを回収

目覚めた海斗と世凪がふたりの思い出の場所を巡る。中層の家へ行き、世凪はかつてのようにセックスを持ち掛けるが海斗はやんわりといなす。ここの手付きはなかなかに感動的だなぁ。

「世凪にとって私が、ありのままの心を見せられる相手でいられたことが──私のささやかな誇りなんだ」
……
「だから──今の世凪も、自分の思うように行動してくれていい
今の世凪が、心から私に抱かれたいと願うなら、それにこたえたい
でも、私の欲望を満たすために体を差し出すようなことはしなくていい
もう世凪は、誰にも自分の体を差し出さなくていい。そのために私と出雲は、必死で世凪を取り戻したんだ」

見方によっては風俗嬢に説教する客みたいな、本心では女性を性的に所有したいけど、それを取り繕って女性側に責任を負わせるロジックの類型にも思えるが、しかしこの性行為へのある種フラットな距離感・立場はエロゲならではの絶妙なバランスの上に実現されているひとつの倫理なのではないか。


基礎欲求欠乏症? あと何をして終わるんだろうと思ってたけど、母の病気のほうを回収するのか。海斗や世凪にメラノーマが発生しなかったわけも。上層民だけが知っていたということは、シャチの焦燥も説明されそうだ。
2085年に初めて確認された症状。以前言ってた生殖細胞の変異ってこのことか。
欲求不満・渇望状態をそれぞれに抱かせるようにデザインされた都市空間が地下の街だった。パラグルコースによる皮膚細胞の劣化はフェイクで、衆愚化計画のためのデコイに過ぎなかった。……パラグルコースを扱う企業からの反発凄そう。
最後の最後でこんな「世界の謎」を明かされても、それと世凪の行く末はどう関係するんだ。
『進撃の巨人』っぽい。「駆逐してやる」という衝動に生きるエレンはもっとも基礎欲求欠乏症から遠い「健康」な存在である。
人類の進化の袋小路としての基礎欲求欠乏症。なんだか壮大な話だなぁ。寓話めいているがあまり関心を持てない。

遊馬も愛妻(里桜)のために清濁併せ呑んで必死に研究に打ち込んできたのだった。そうですか…… それをここで明かされても、そもそも遊馬にそんなにネガティブな感情を持っていない(前頭葉切除は書き手が悪趣味だなぁと思うだけ)ので、ここで海斗との類似性を提示して株を上げようとしているのかもしれないが、単にまたこういう凡庸な悲劇かよと呆れちゃうな。

遊馬「前時代的な身分制度の残っていた国、独裁政権国家、社会主義を標榜している実質的な共産主義国家──そういう国では、基礎欲求欠乏症による死亡率が比較的低かった」

すごい設定だなぁ……

遊馬「半世紀の研究の中で人類は──日光、空気、水に対する欲求が、基礎欲求欠乏症の予防薬になると発見した。だから人類は自分たちからこの三つに対する自由を奪い、それを身分制度と紐付けた街を設計した」

つまり、エロゲにおける、海や空の青さ、透明感をエモく描くような系譜を本作ではこうしてSFとして擬-歴史化しようとしているってこと? そういう雰囲気のフィクションを好む我々の嗜好は、まさに日光や空気や水への飢餓欲求に基づいていると。壮大なホラとして結構好きかも。

てか、物語構成がすごいな。もはやこれまでのCASE1~3とか、そしてCASE0での世凪のアルツハイマー闘病記とか、そうした全部のストーリーを最後にスケールのデカい救いのない人類進化SF要素をぶっ込むことで相対化するというか、どうでもよくさせる。

世凪は父親譲りのアルツハイマー病と、この時代の人類に普遍的な基礎欲求欠乏症という二重の病によって死へと向かっているが、結局は病身のヒロインが人柱になって人類をささやかな夢のなかで幸せにするかどうか、という偽問題を再演しているに過ぎない。(夢を見ずに眠っている人類に幸せな夢を見せるため、という大義が正直それほど有効だとは思えないが……)


世凪「わたしは、自分の終わり方を自分で決めたいの」

そして結局は、こうしてヒロインの実存を崇高な自己犠牲に仮託して美談とするいつものパターンである。もはや呆れすらしない。一見ヒロインの尊い主体的な決意に思えるが、それもフェイクである。エロゲの歴史のなかで(もっと言えば人類の文化史のなかで)生産され強化され反復されてきた罪深いフィクション。

とすると、なぜ自分は『ユースティア』を高く評価するのか今一度問わなければいけない気がしてきた。ティアと世凪は何が違う? SFとファンタジーの差異? 人類進化の袋小路という絶望的な状況を前に夢に避難することと、ひとつのファンタジーの終焉と同時に一度文明をゼロに戻して再出発することの前向きさの差? より象徴的にいえば、地下都市か空中都市かの違いってこと?? 



世凪「……もう、少女って年じゃないよ、わたし」
海斗「私の中では、世凪はいつまでも少女のままだ」

悪しき〈美少女〉概念!!
彼女をいつまでも「少女」のままに押し込めているから、安易に「世界」と同一化しちゃう(させちゃう)んだぞ!!! 分かってんのか!?


おわり!!!!!
なんかラストは逆『CROSS†CHANNEL』みたいだったな。
非現実空間の「外」に出た人々が、「中」に留まる1人のことを神様のように語り伝えるのと、反対に非現実空間の「中」へと入った人々が、「外」に留まった人々の崇高さと、その「世界」そのものとなった1人のことを女神様として語り伝えていく結末。

先の『ユースティア』との対比も含めて、それらが発売されてからの十数年間でのフィクションの想像力の(社会情勢が反映された)変化が云々……ということを何か言えそうな気はするけど、まぁええわ。

世凪が書いた物語を、最終的には海斗が語り手となってみんなに(教祖や司祭のように)布教している。やっぱりヒロインは語る側ではなく語られる側になってしまうんだ……(そして「女神様」になってしまうのか……)という落胆がある。


・エピローグ

「幸せなエピローグ」!
感動の再会から即セックスわろた
あー仮想空間のみんなが世凪のことを想ったから具現化したってことか。
「幸せなエピローグ」そういうことね。再会できた今なら、3つの物語も別れではないハッピーエンドを書ける。

・桃ノ内すもも
梓姫は(「副業」で)プロの雑誌モデルをやっている。すももは美容師ではなくヘアメイク業に従事

キャンディー飴井ww スペンサー化している……
2061年に人工鳩の通信網が復活したんだよな。その功績者はカンナと同じ学園の人?
いやぁー……すももさんやっぱヤバいわ……いちばんすき……
カンナに嫉妬されてはしゃいで喜ぶすももさん最高! 歳上ギャルしか勝たん……

すもも「あたしさ、昔のことにまで嫉妬する感じ、ピンとこなくて……。大事なのは今じゃん?」

処女信仰が強い純愛エロゲでこういうヒロイン貴重だから素晴らしいな。
てか今更ながら、この「幸せなエピローグ」を仮想空間の皆さんに海斗は語り聞かせるのか……? ……性の伝道師?
結婚するんだ。梓姫もまじでいいキャラだよな〜〜
返してもらったハチマルの中でも即セックス これは飴井アンナも喜ぶだろうなぁ……(?)
てか、CASE2だけもともとそんなに悲壮感のある別れじゃなかったんだよな。どうせあのあと数年後に無事くっつくだろうことは目に見えてたし。ただひと夏が終わっただけで。だからこれも無理矢理感がない。

・オリヴィア
落ちぶれたマーロウはスペンサーに捕まり新大陸へ(?) これもまた典型的なホモフォビア
違法に重婚してたのでオリヴィアとの結婚も破棄されたスペンサー。なんだそりゃ……
やっぱオリヴィアもいいキャラだな〜 勝ち気なヒロイン好き
えっ、オリヴィアのエピローグこれで終わり!? シーン無いじゃん! 確かに本編で2回やってたけど。。

・波多野凛
新学期一日目に凛は退学届を出し、有島は渡辺の助けを借りて即居場所を突き止める。熱海の産婦人科。
子供を育てる決意をした二人は結婚し、凛は書いた小説が爆売れ、有島は凛の編集者として満ち足りた生活を送っている……
倫理観が終わってることに目を瞑ればめっちゃ出来すぎたハッピーエンドでつまらないな……
やはりこっちもシーンなし
世凪の、海斗との子供が欲しかったという気持ちが凛と有島には投影されている。

代わりに世凪とラス1やるんかい すももが魅力的過ぎて世凪に実在感を全く見出だせない。
エピローグにもエンディングあるんかい


・おまけシナリオ

こっちにはCASE0が無くて1~3のみなのね。CASE2だけ1つで、1と3は2つずつ。

オリヴィア1
これは時系列、本編の『ロミジュリ』を執筆中の出来事か。
酔っ払って店の床にウィルを押し倒すオリヴィア。いいぞもっとやれ!
焦らされ過ぎて挿入前に果ててしまうウィル。BGMオンオフ芸。Hシーンでこういうコメディをやるの珍しいな。良い。
というかずっとコメディが上手いんだよなこの作品。緊張を高めてコメディに落とす。落とせる程度のシリアスで十分。CASE1や0では下手にシリアス過ぎたり壮大過ぎる話になってしまったから……。
めっちゃおもろいw ヒロインにツッコミながらツッコまれている…… やっぱこいつら役者なだけあって掛け合いが良い。喜劇!

凛1
夏休み中。図書館でこっそり! お仕置き足コキプレイ。
これは足フェチにはたまらないでしょうなぁ…… ここぞとばかりに凛がSっ気出してきてるのも良い

「なんか、硬いね。ペニスも、文体も」

わろた やっぱギャグ路線いけるやん……!!
よく考えれば、Hシーンってまさに緊張が極限まで高まる場面だから、そこで一気に気が抜けるようなギャグやボケを挟んで緩和するといとも容易くコメディとして成立させられるんだな。
このライターさんマジでシリアス壮大SFロマンス路線じゃなくて、抜きゲーよりのイチャラブコメディが向いてると思う。

これが──このみっともなさの極みともいえるこの姿こそが──私なのだ。

いいね。本編よりも輝いてるよあなた!!
学校内の図書館で淫行をして汚すという背徳的な行為も、有島の「学校が嫌い」だという心からの叫びと結びついて、なんだか無駄に感動的になっている。
これでもまだ凛は手を抜いている。確かに手を全く使っていない。やかましわw

オリヴィア2
『ジュリアス・シーザー』執筆時のウィル。またしても酔っ払っているオリヴィア
オリヴィア「怒ったウィルに、お仕置きされたい」
なるほど2つのおまけシナリオで主従(S寄り/M寄り)の両方のパターンをやるのか
とはいえ、実質オリヴィアに誘惑されているので結局はオリヴィアの思い通りではある(それがいい)
おもろ! さっきのと同じでウィルは早々に出してしまうが、今度はオリヴィアがそれに気付かず白けることなく行為は高まってゆく。……しかも天丼を何回もやる!! 最初のおまけシナリオを利用しつつまた違った方向のセックスコメディをやろうとしている。コメディに対して真剣だな……めっちゃ良い
てか4回連続射精って早漏というより絶倫じゃねえかw そういう役割のAV男優いけそう。

真面目に考えると、エロゲのHシーンって基本的には男性側の射精というクライマックスに向かって緊張感が単調増加していく(実際の射精を模した)構造になっているが、これらのオリヴィアおまけシナリオにおいてウィルがすぐに果ててしまい、良い感じのBGMが都度鳴り止むという音響演出なども加わることで、その単調増加性は破壊されている。むしろ緩急のピークが何度も存在する振動的な曲線を描いており、これは「実用」目的のプレイヤーからすれば都合が悪いだろう(ウィルと同様の早漏絶倫でない限り)。この性質をむしろ、CASE2本編でも指摘したような、男主人公と(男性)プレイヤーの乖離を促す演出として自分は肯定的に評価したい。ウィルは作家でありながら女装して舞台に上がる役者(見られる対象)でもあり、それはエロゲの物語を「見る」だけのプレイヤーとは異なる位相にある。そうした特徴を、こうした一見即応的なだけのHシーン短編においても、Hシーンならではの仕方で表現していると見なせるのではないか。


凛2
5ヶ月目の安定期に入った妊婦との…… マジで母子の健康上問題ないんか?
そこまで大きくはないが膨らんでいることはわかるスチル。結構挑戦的だなぁ。実質3P?
でもよう考えれば最初にしたときに妊娠したんだから、それ以後はずっと(まだ気付いていない)妊婦とやってたってことよな。

私たちはこうして──自分達の日常を、少しずつ子供中心にしていくんだろう。

なかなかすごいなぁ。ひとつのエロゲの終わり、ってことかー。青春が終わり人生が始まる。(有島芳はもともと中年だけど)
『CLANNAD』とかやってないから分からないけど、ヘテロ純愛モノで結ばれたあとに、こうして「ふたり」から「さんにん」になる過渡期を性行為(の変化/減衰)とともに丹念に描いたエロゲってあるのだろうか。それこそエロゲにしか描けない「物語」ではあると思う。

ただ、互いの気持ちを確かめ合うような行為。
もしかしたらそこには、射精すら必要ないのかもしれない。
──だが。
満たされた気持ちの中でも、私のペニスは荒々しい射精に向かって高まっている。

これな〜〜。上に書いた「エロゲHシーンの基本構造」をそれでも遵守せざるをえない、ということ。ここで本当に「ただ、互いの気持ちを確かめ合うような行為」に終始して、射精というフォーマットからも解放されたHシーンを描いてたら偉大だった。いずれにせよエロゲにおける葛藤がよく表れている趣深い内容ではある。

凛「……別に、イキたくてセックスしてるんじゃないから」

いいですね。

「……生まれてきたあとは、しばらくできないよ、きっと。
 乳首も舐めない方がいいんだって。虫歯映るから」

エロゲで学ぶ教養知識
めっちゃ出生主義なのは当然として、まぁこの二人はこれでいいんじゃないでしょうか。それほど応援も出来ないけれど。

すもも
デート当日があいにくの雨だったのですももの提案でラブホ直行
めっちゃ短いな。エピローグで2回もやったからな。
相変わらず慣れていてカンナを先導するすももさんは最高
桃ノ内すもものASMRはちょっと欲しいと思ってしまった。





総プレイ時間:30時間10分
実プレイ日数:9日間

・まとめの感想

始める前からなんとなく聞いていた噂に違わず、CASE1, 2, 3はそれなりに面白かったものの、CASE0はかなり退屈だった。
このライター(緒乃ワサビさん)は魅力的なヒロインとのイチャラブコメディを描くのがとても上手く、おはなしを変に壮大にし過ぎたり重くシリアスにし過ぎてしまったCASE0のようなトーンの物語にはあまり向いていないのでは、と思った。

CASE1〜3のプロローグは順番がランダムである、というのをあとから知ってびっくりした。共通ルートから各ヒロインの√に分岐していくのではなく、最初から分岐が、しかもランダムで行われるというなかなかに面白い構成は素直に評価したい。アリ・スミス『両方になる』みたいで良い。

最初の3つのCASEのなかでも一番好きなのは桃ノ内すもも編(CASE2)。これは何よりもまずすももというキャラクターの魅力に尽きる。私はヘテロ幼馴染至上主義者なのでおねショタには懐疑的だったが、飴井カンナと桃ノ内すももの関係には降参した。歳上の性経験豊富なギャル最高!!! すももと梓姫の掛け合いも非常に楽しく、全体的に高校生のひと夏の青春モノとして気持ちよく読めた。他の章と比べたときに、CASE2がもっともこじんまりとした物語だったのも好きなポイントだと思う。他のCASEと揃えて一応は「別れ」で終わりはするものの、単にひと夏が終わったから一旦は自分の家/生活に戻って距離を置くだけで、数年後にはこの2人めでたくくっつくんだろうな〜と確信できるので読後感も良い。下手に悲壮感がないから好き。あと、どこかの淫行教師のおかげで、教え子に「手」だけで済ませた桃ノ内すももの倫理観が相対的にまともに見えるの草
CASE2を読んで、このライターにはコメディ調でエッチ要素も満載のキャラゲーをいっぱい書いてほしい、と感じた。桃ノ内すもものASMRとか無いですかね?

順不同のプロローグで私が最初に読んだオリヴィア編(CASE3)もそれなりに面白かった。シェイクスピア!?とびっくりしたが、史実に基づく歴史モノというよりも、現代日本目線での二次創作エンタメとして楽しかった。男主人公ウィルが脚本を書くだけでなく女装して自ら舞台に上がる、という設定が良い。オリヴィアの日常的な所作をトレースして演技を洗練させるくだりがいちばん感動した。エロゲにおいて男主人公がヒロインを「見る」行為が、彼女を(性的に)消費/所有するためではなく、「見られる」役者としての自らの身体へ投影する模範として位置づけられていることへの感動。そしてヒロインのオリヴィア側でも、「女優」が存在できない社会情勢のなかで男装して野望を果たそうとする高潔な意志が素晴らしく、こうして男女のジェンダーが逆転した形で「演技」をするというフェミニズム・クィア的にも興味深い内容だった。それだけに、最後の『ロミオとジュリエット』では性別を反転させずにそのまま演じる、という展開がふたりのロマンチックな異性愛の称揚に直結する形で物語られていて一抹の落胆を覚えた。そうしたジェンダー・クィア方面ではむしろ「変態」貴族のハロルド・スペンサーが良いキャラだった。しかし作中での扱われ方は明らかに男性のホモフォビアを素朴に提示しており差別的であった。酔っ払っているオリヴィアは確かに可愛いが、それでもなお「……いいこね」と優位に立っていてくれるほうが好き。

唯一現代日本を舞台にした波多野凛編(CASE1)は……もちろんそのまま素朴には受け入れ難い、既婚中年男性教師による未成年の教え子に手を出す社会通念に反した物語であるが、そもそもエロゲの男主人公で既婚者/妻帯者が珍しいのでテンションが上がり、関係が冷え切った妻へのレイプや浮気、不倫、離婚……という大人の終わっている要素てんこ盛りなのはとても好みだった。男主人公をちゃんと「しょうもない」奴として描いてくれる話が好き! そうした自分の好みに照らせば、中年男性が年甲斐もなく青春しているかのような凛との交流パートよりも、妻:祥子との生々しい離婚調停の話をもっと読みたかったのだけれど、それは色んな意味で違うので仕方ないですね。自殺した天才小説家:波多野秋房の(しょうもない)日記を読んで強烈に共感して死に接近していく有島を冷めた目で流しつつ読んでいたが、凛に妊娠が発覚し、それを有島には告げずにひとりで産み育てる決意をする──というラストの展開だけ急に重すぎて動揺した。「幸せなエピローグ」を"作者"本人による二次創作としていったん脇に置けば、未成年の学生がひとりで産み育てると決めるのをあたかも高潔なことのように描いていると読めかねないあの着地はどう考えても問題がある。ただ、おまけシナリオ2での妊娠安定期の凛と有島(芳)夫婦の情事は、エロゲにおいて妊娠(・出産・育児)をどうHシーンのなかで描いていくか、という観点でとても良かった。あとおまけシナリオ1の凛のS気足コキプレイは最高。

そして満を持してのCASE0だが……まず何よりも長い! 長くて退屈! 思えばCASE1~3は(前編/後編に分かれているからとはいえ)どれも5,6時間ほどで終わっており、「あれ?もう終わりか。意外と短いなぁ」とすら思えていたのが功を奏していた。飽きさせずに終わるうちが華。CASE0ではひとつの物語を子供編・青年編・夫婦編などと幾つもの人生段階に細分化して、かつ終盤では遊馬の回想エピソードやら、CASE1~3の設定回収のための記憶装置実験パートやら、無駄に凝ったSF設定説明パートやらが配置され、終わると思ったらまだ続くんかい、な冗長なプロットになっていた。

おそらくCASE1~3に比肩するか、それらを凌駕するもっとも感動的で壮大な枠物語としてCASE0を位置づけたいという思惑のために、結果的にこのような退屈で冗長な内容になってしまったのだろう。上でも書いたように、明らかに、壮大で壮絶で感動的なシリアス話よりも、甘々でイチャラブなささやかなコメディを書くほうが向いている。喜劇でも悲劇でも同等の名作を量産できるシェイクスピアが特殊なんだから。

仮想空間研究の設定がやけに綿密であり、それをご丁寧に解説してくるあたり、おそらく本当にやりたいのはこうした厳密なSFモノなのだろうけれど、それが物語のエンタメ性を損ねる方向にしか作用していないという自覚を持ってほしい。

そして、3つの章を作中作として包含して物語構成の理屈を付けて……という作業が終わって最後にやることは、使い古されたヒロイン人柱セカイ系自己犠牲展開なので、呆れてしまう。しかも、CASE1~3の実験パートが終わったあとで大文字の「世界の謎」を開示して再び主人公を絶望に突き落とすというか、これまでの凝った物語構成の意味は何だったの!?とプレイヤーを困惑に突き落とす展開が用意されており、マジで何がやりたいのか……。ここにきて世凪というヒロインとの純愛シナリオと、地下都市に避難した人類を描いた未来SFシナリオがまったく噛み合っておらず、互いに魅力を損ね合っていた。

CASE0で面白かったのは、世凪の思考空間を人々の住む仮想空間として設計しようとする中で、CASE1~3の世界に海斗たちが入り込んでゲーム的に色々と実験をして試行錯誤していく場面だ。これは要するに、プレイヤーがこれまで読んできた3つの物語を、まさに主人公がゲーム的な空間として体験しているということであり、つまり『白昼夢の青写真』とはノベルゲームそのものの隠喩であると読める。本作はメタフィクション的要素を持っているが、それは単に物語が入れ子構造になっているということではなく、そもそも「小説」や「物語」ではなく厳密には「(ノベル)ゲーム」としか言い表せないようなメディアとして世凪の思考空間が描かれている点に本質があると思う。ノベルゲームであることに意味がある。こうした観点では(でのみ)私はCASE0を面白いと思う。

また、本作は明らかに『AIR』などの、青空や海や風、鳥といったモチーフをエモく演出するエロゲの系譜にあるが、それと終盤で明かされる基礎欲求欠乏症の対策として「空や海や空気への欲望をかき立てるための都市設計」という要素を関連付けられるのではないかと思った。つまり、連綿と続く「青くて爽快で壮大な純愛エロゲ」をなぜ我々は求めてしまうのか、その真の理由として基礎欲求欠乏症(のための衆愚化計画)があるのだ、という思い切った偽史をぶち上げているのだと解釈するのは面白いかもしれない。

まとめれば、CASE1~3はそれなりに面白かった(特に桃ノ内すもも編は良かった)がそれを総括するCASE0は向いてないのに肩の力が入りすぎて冗長であり失敗しており、メタ-ノベルゲームやメタ-エロゲ的な(一歩引いた)観点からでしか面白さを見出だせなかった。イチャイチャラブコメ路線で大成してほしい。


エロゲー批評空間にも投稿しました。
内容は「プレイ日記」noteを全部載せしただけです。

終わってみれば、初回で書いた「わたしはSFと純愛モノが苦手なのでそこがどうなるか」という心配がそのまま表れた形に……

↑ではずっと、この作者はシリアス(悲劇)よりもコメディ(喜劇)が向いていると書いたけれど、実際のところは自分がシリアスよりコメディを好むだけの話なんじゃないか?と問われたら答えに窮します……。



・他人の感想記事を読んで

クリア後、もっとも敬愛するエロゲ感想ブログである「Schnee des Winters」の『白昼夢の青写真』関連記事を読み漁りました。この方が90点を付けている、というのが、本作をやる大きな動機のひとつであったからです。

結果的には、この人ほどには楽しめなかったわけですが、それでも/それだからこそ、以下↓のような丁寧な批評文を読む楽しみはまったく減りません。

果たして本作はセカイ系悲劇と呼べるだろうか?——呼べないだろう。なぜなら世凪は「海斗のため」に自己犠牲を選んだのではない。逆だ。「海斗のために」何かを選べない彼女だからこそ、海斗とは無関係な世界の滅びを遅らせるために、己を捧げようと決意できたのである。

わたしも言及したような、CASE0の「セカイ系」的側面を丁寧に検討しています。『AIR』や『ユースティア』もやはり引き合いに出されています。

ただ、論の内容以前に、下のような洗練された文章を読むこと自体に快楽があります。わたしの中では。「あ~ こういう文章をさらっと書ける学のある人ならば信頼/尊敬できる!」と興奮します。

「セカイ系」は家族的類似であって、必要十分条件を提示することは不可能であるということを前提し、定義論やオタク論ではなく作品論に限定して用いれば、この概念は今でも使える。厳密な定義が不可能であり、また純粋な「セカイ系作品」が存在しないことは、この語の有用性を毀損しない。

この人が『青写真』(CASE0)を高評価している理由が掘り下げられていますが、根本的には「世凪というメインヒロインを心から好きになることができたかどうか」という点が私との違いなんだろうな、と思います。(それはエロゲとして何も間違っていません)

ブログ主のBlödsinnさんは世凪というヒロインを愛し、彼女を愛する男主人公に感情移入しているからこそCASE0および『白昼夢の青写真』という作品そのものを最後まで肯定できています。しかし、私にとってはCASE0の世凪よりもCASE1~3の3ヒロインのほうが皮肉なことに実在感があるように思え、世凪はそれらのヒロインのツギハギのような薄っぺらいキャラに思えました。(ほんとは順序が逆で、世凪の3つの側面を分離して創作したキャラクターがすもも、オリヴィア、凛だというのは分かるのですが、それでも私の主観は覆せませんでした)

ヒロインキャラだけでなく、スチルの構図や背景もまた、CASE1~3とCASE0は意識的に重ねられています。そのことをBlödsinnさんは「エロゲというメディアの面目躍如とも言えるギミックだ」として称賛します。

ケース1-3の印象的な構図を用いたCGが多く、印象付けるのが上手。一枚絵だけでなく、背景もこれまでのケースと似せられている(上の画像背景もそうだ)。気付いてニヤリとできるファンサービスだけでなく、世凪のイメージからこれまでプレイヤーが見てきた物語は成り立っているという、世界観の補強にもなっている。複数の物語を並走させながらメインルートに統合することができ、しかも視覚的なイメージが使用可能な、エロゲというメディアの面目躍如とも言えるギミックだ。ボイスがキャラクターの一貫性・統合性を生んでいると考えれば、聴覚も活用している。ヒロインのデザインに目が行きがちだが、本作はそれ以外の部分でも物語の「統合性」に細かく気を配っている。本作が下手をすればシナリオ間の繋がりが見えず空中分解した短編集になっていたかもしれないことを思えば、かなり高く評価するべき部分である。
構図の再利用は、演出面でも優れた効果を生んでいる。夜凪の一枚絵を見た時、プレイヤーが鑑賞しているのは海斗と世凪の物語であると同時に、凛と先生、オリヴィアとシェイクスピア、すももとカンナの物語でもある。しかもそれらの物語は無関係ではなく、実は同一の対象をーーつまりは世凪の感情をーー描写したものだ。同じものを、違った角度で描いている。プレイヤーは夜凪の感情を既に知っている。その感情が最も重なる瞬間が、こうしてCGに結晶化されている。

私も「エロゲ/ノベルゲームならではの要素」を見出して褒めることはよくするので、上の指摘自体には全面的に同意します。しかし、それでもなお、私のプレイ体験という主観的な次元においては、「プレイヤーは夜凪の感情を既に知っている」という既知の感覚がむしろ世凪というヒロインの自律性を減じてしまい、こいつにあんま興味もてねぇな……という愛着の減退と、またこういうのかよ……という飽きに繋がってしまったのです。
(※世凪編はまさに「ヒロインの自律性(の喪失)」を主題にしているんだから、それを以て切り捨てるのはナンセンスである!と反論されたらまぁそうかもしれないです……)

CASE0の冗長さとは単純なシナリオの長さ以外にも、こうした「既知感(デジャヴ)を想起する要素が多過ぎる」ことにも由来しているのでしょう。単に私が、こういうタイプの「伏線回収」が苦手、ということなのかもしれません。『ファタモルガーナの館』低評価の理由もザックリいえばほぼ同じことです。


さらに、元の記事で指摘されているように、CASE0において世凪の「人格=記憶のあり方」は3段階ほどに分かれます。このことも、世凪というひとりのヒロインの強度を損ね、その人格的同一性を希薄にするので、私が彼女にあまり思い入れを持てないのを助長しました。ここはおそらくプレイヤー的には、世凪の "ビジュアル" を愛することで主体的に彼女の同一性を保つことができる(そうしなければならない)のでしょう。じっさいBlödsinnさんは世凪の立ち絵を「ウインドウオフにして10分単位で眺めて」いるほどに、その図像に惚れ込んでいるようです。

世凪がキャラクターとして完成されすぎている。好みをストレートにぶち抜いてくるキャラデザ、神代氏のメリハリが効いた演技、童貞を完全に抹殺しに来ているこの笑顔よ。ウインドウオフにして10分単位で眺めてた。我が家には未開封のエロゲ特典タペストリーが大量に眠っているが、壁に掛けたタペは世凪が始めてだ。

私は「世凪がキャラクターとして完成され」ているとはまったく思えなかったし(桃ノ内すももには思いました)、そもそもそこまで単一のキャラクターの図像を愛することはできない──世凪に限らずより一般的に──ので、その意味でこうしたエロゲに向いていないのかもしれません。キャラクターよりも物語のオタクなので……。

「世界と呼ばれた一人の少女の物語」といった大仰な文句や、SF的なギミックに惑わされてはならない。『白昼夢の青写真』においてセカイ系的な要素は途中で挿入された装飾に過ぎない。本作は『AIR』や(途中までの)『イリヤの空』の系譜ーーヒロインいじめと看取りモノーーに、本作独自のテーマである「人格とは何か」を接続した物語として読むのが妥当である。後出しで登場した満足病の存在や遊馬のエピソードなど、唐突とも言える終盤の一連の要素は概ね本筋に無関係であるから、冗長であるという批判を除けば、本作の評価を大きく下げる事にはならない。

だから、わたしはCASE0が「(後出しで登場した満足病の存在や遊馬のエピソードなど、唐突とも言える終盤の一連の要素は概ね本筋に無関係であるから)冗長である」という一点だけでも本作の評価を大きく下げてしまうのです。

というか、私もプレイ中の感想メモで指摘したように、『白昼夢の青写真』はまさにノベルゲームについてのノベルゲームであり、男主人公:海斗がヒロイン:世凪を見つめ、愛し、語り伝えていくプロセスはそのまま我々エロゲプレイヤーが2次元のキャラクターへ関わっていく行為に対応しています。したがって、本作を楽しめるか否かが、(ある種の)エロゲ/ノベルゲームに向いているか否かの試験紙となる、というトートロジーめいた妄言はあながち間違っていないと思います。


Blödsinnさんは世界史にもとても詳しいので、こういうめちゃくちゃためになる記事も書いてくれています。『青写真』をより楽しむうえでどこまで有用かはともかく、単純にめっちゃ勉強になります。演劇史のこと、世界史のこと、なにも知らねぇ……


ともかく、『Schnee des Winters』オススメです! エロゲ以外の記事もかなり充実しています。




これで『白昼夢の青写真』プレイ日記は以上です!!

え~、〈真実の純愛〉に脳が破壊されてしまった※ので、NTR鬱ゲーで癒されよう…… ということで、評判の良いWaffle『初めての彼女』を昨夜からプレイし始めました。・・・が、文章が単純に下手すぎてまったく集中して楽しめていません。ふつうの人なら30分で終える内容を3時間かけてひたすら勝手に校正していました…… ノベルゲームにおいてテキストがいかに大事かを痛感させられています。その無駄な苦闘の有様をもしかしたら投稿するかもしれません。

※世凪の顛末を考えると『白昼夢の青写真』において「脳が破壊された」という定型句はより一層使うべきではない。



他のノベルゲーム/エロゲの感想noteはこちら!


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