ネギ
今日は起床後すぐに妻からの弁当無い宣言だ、よくあることなので気にはしない。何も食わないわけにはいかないので白飯とカップラーメンを持っていく。
昼休み、ラーメンにお湯を注ぎ入れるためポットの前に立つ、残量が少ない。使ったのなら入れとけよ、こんなところにも現場猫の影響が及んでいる。足りるかわからないお湯を不安を抱えつつ注ぎ入れる、まぁ、足りなければ水でも入れればいいのだが。
これでは栄養が偏るのでスープに浮いたネギをつまんで食べる、少しでも野菜を摂取するための涙ぐましい努力だ。
ここで、妻との会話を思い出す。ある母親と高校生の娘の話だ、その親子が喧嘩した日、娘の弁当の中身がかまぼこ一本だったそうだ。傍から聞けば笑い話だが等の娘はどうだったのだろうか、友達と弁当を見て一緒に笑ったのだろうか?トイレの個室で弁当の中身を見て泣いたのか?まぁ私にとってどうでもいいことなのだが、きっと今は笑い話になっているだろう。
ふと弁当を見る、白飯だけの弁当とかまぼこだけの弁当、いったいどれ程の違いがあるだろうか。栄養素などの違いのことを言っているのではない、もっとこう概念的なことだ。
対して違いはないように思う、あの高校生の娘と私は同じ境遇なのだ。しかし決定的な違いがある、過去の笑い話になった者とこの状況がこれからも続く者との違いだ。むしろ増えていくのではないかという不安が私を包む。これではいつ成人病になっても不思議ではない、10年後も白飯とカップラーメンを食っている上がり目のない煤けたおっさんを想像すると肌に粟が立つ。しかしそんな境遇の人は世の中にはたくさんいるのではないだろうか、私はこの状況を受け入れつつスープのそこに沈んだネギを探す。
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