日帰り温泉で思うこと

休日の終わりに日帰り温泉に行くことにしている。思えば今日は安定した一日だった、特性のある子供が癇癪をおこしても妻が落ち着いて対処してくれたからだ、そして私を快く日帰り温泉へ行かせてくれる妻には本当に感謝している。
そんなこんなで白線の消えかかった駐車場に車を止める、今日は車が多い。人の多い温泉に入るのに少し億劫な気分になる。知り合いの車がないかチェックしJAFのアプリを開きつつ受付に向かう、受付の若い愛想のない女性の対応が私には心地よく感じる。
調子が悪いのだろうか、かけ湯がとても熱く感じた。客層は年寄と子連れが多かった、自分が子供と来ていることを想像する。はしゃぐ子供に待ちなさいと言いながら微笑む自分がそこにいる。このような妄想はいつだって楽しい。いつの日かこの妄想が現実になればと思う。
思えば平凡非モテの私が結婚できたのは本当に運が良かったのだと思う。しかし考えてみれば世の中の男性の大半がモテるわけではない。女性の方から寄ってくる男性など稀なのだ、それでも非モテの男性の多くは結婚している現実がある、意中の女性に振り向いてもらうため懸命にアピールする。振られてはアタックを繰り返し2、3人と付き合った後結婚に至るのがスタンダードなのだと思う。
非モテ平凡男性をダーウィンが来た!でやると面白いと思うが感情移入しすぎて見るのが辛くなるかもしれない。日曜19時30分の放送なら月曜から元気になるような内容にしてほしいものだ。学生の頃を思い出すとモテるやつなんて40人クラスに2人程度だ、たった5%しかモテるやつはいない。そんな中に私が入れるわけもないが女性の方から寄ってくる妄想はよくしたものだ。強くてかっこいいジョーギリアンのような自分、しかし妄想は現実の私に付いてこれなかったのだ。そんな妄想から手を離したときに今の妻と出会った。話下手な私の話を一生懸命聴いてくれていた妻を今でも鮮明に覚えている。この時、話下手でも一生懸命言葉を尽くせば相手が理解してくれることを悟った気がした。今では私の話など上の空で、その度、私の自己肯定感が少しづつ剥がれ落ちるように感じる。話を聞いてほしいなら、私自身も妻の話を一生懸命聴かなくてはいけないと反省する。
独身のまま今の年齢になっていることを想像すると肌に粟がたつ、周りが家族や子供の話題で盛り上がるなか自分にはなにもない状況では、今でもくだらないプライドにしがみつく私には正気を保つ自身などない。
妻にだけは見捨てられるわけにはいかない、そう思いながら外灯の少ない道を嫁のお下がりての車を走らせる。それにしてもこの街の夜は暗い。
ちなみに妻との最初の会話はへらぶな釣りの話だった、私自身はへらぶな釣りなどしたことがない。知識はあるが行動はできないギャップが今でも私を苦しめる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?