「猜疑心」

第1,344回
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人間関係は、信頼関係が壊れ一度「猜疑心」に囚われてしまうと、二度と元に戻れないほどの心の病にかかってしまう。これを治すのは極めて困難である。

 例えば、信頼していた友人が、他の友人たちと談笑しているときに、あなたの悪口で盛り上がっていたら、あなたはもうその友人を「猜疑心」なしに見ることは出来なくなる。

 例えば、会社の部品を勝手に持ち帰り、ネットオークションで売っていた従業員がいたら、他の者もやっているのではないか?そんな「猜疑心」が沸き上がると、誰も信頼が出来なくなってしまい、社内がギスギスした空気になってしまうだろう。

 仕事について行けそうにないので、違う仕事を探すように説得し、先月で会社を退職することになった社員が、連絡がつかなくなり1カ月ほど経って、ようやく私物を取りに来た。しかも私がいないときに来た。すぐに連絡をしてようやく話しが出来た。
 早く就職活動をするように私は言ったのだが、考えているとのことで、何も行動していないようだ。ということはゼロなわけである。そして、早く退職手続きをするように言ったが、会社に来る理由がないから適当にやってくれという。それでは退職にならないから、無断欠勤状態だと説明したのに、何をたくらんでいるんだ?と「猜疑心」でいっぱいだった。そのため、在職中なんだから、会社に出社して話しをしたいと言っているのに、行く必要がないという。在職しているのだから、義務があるのですよ!と説得に時間がかかったが、一度もたげた「猜疑心」は二度と消えないだろう。仕事をしていないのに金を払っているのに、少しでも役に立とうという気がないというのは、本当に困った人間だ。

 だが、よく考えてみよう。「猜疑心」とは、自分の心が作った虚構だ。他人の評価など気にせず、我が道を行けば何も気にすることなどないのだ。他人と比較せず、自分の心を信じていれば、「猜疑心」など生まれようはずもないのだ。このような心の病は、すべて自分で勝手に作り出し、自分で勝手に苦しんでいるだけなのだ。すべて忘れてしまえば良いことなのだ。
 何を恐れるのか?嫌われることか?信頼されないことか?自分の人生において、他人からの評価など、どうでも良いことだ。結局人は最後は独りで死んでいくのだから、自分の人生に責任を取れるのは、自分だけなのだから。「猜疑心」など、不要な感情なのだ。「猜疑心」に囚われた人間とは接しないに越したことはない。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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