「判断」

第1,231回
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人は物事を「判断」するときに、自分のバイアスがかかった状態で「判断」してしまうものである。それは当然である。だが、自分のことであれば、それも問題はない。ところが、他人の「判断」すべきことを、勝手な自己「判断」で誤った伝え方をしてしまっていないだろうか?

 例えば、奥さんに買い物を頼まれたとしよう。じゃがいもとニンジンと玉ねぎと豚の細切れ肉を買うように言われたあなたは、スーパーに行った。
 スーパーに行くと、長ネギの特売をしていた。あなたは玉ねぎより長ネギの方が安くていいだろうと、「判断」して玉ねぎを買わずに帰った。
 結果がどうなるかは火を見るよりも明らかで、その日の夕飯がカレーではなく肉野菜炒めを乗せた、インスタントラーメンになった理由が、あなたには一生理解ができないのである。これで離婚されない理由が私にはわからない。
 相手の求めている内容を理解し、相手の心に寄り添って「判断」しなければ、このような判断ミスが起こるのだ。

 例えば、上司に客先とのアポを増やすように言われた営業の人がいたとする。しかし、その営業の人はベテランで、多くの会社を知っているため、自分なりのバイアスがかかってしまった。
 上司の指示は、数を増やすことだったのに、自分の中で勝手な「判断」をして、この客はいまは無理だな。この客にはふさわしくない商品だ。そのように勝手に数を減らしてしまったのだ。結果的に、見込客数を伸ばした若手が褒められベテランの営業の人は不満を募らせることになるのだ。
 なぜ上司が数を増やすように言ったのか?その意図がわからなければ聞けばいいのだ。勝手な「判断」をする方が危険だ。意図がわかったうえでその方針に沿った具体的な「判断」はしてもいいのだ。抽象化を具体化する「判断」は現場にある。ところが、抽象的な「判断」を誤ると、もはや現場レベルでは取り返しがつかないのだ。
 経営判断すべきことと、現場が独自に「判断」すべきこととは大きな違いがある。国のかじ取りも同じだ。ミクロな視線の人では大海を渡る判断はできない。川遊びがせいぜいだろう。マクロな視線がなければならない。それには、抽象的な「判断」をしなければならず、説明責任も伴うものなのだ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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