「傷と痛み」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 怪我をすると、体が傷つく。しかし、傷は残っても、いずれ痛みは消えていく。だが、痛みが消えにくいこともある。特に傷ついたのが、心の場合は、癒されるのに要する時間は、体の傷の比じゃない。
 あなたは他愛のない言葉で、相手をからかっただけかもしれない。しかし、傷ついた相手にとっては、とてつもなく大きな傷であることもある。その痛みが消えるのに、どれほどの時間がかかるかは、人それぞれだ。一生消えない場合もある。特に、他人よりも家族に傷つけられた場合には、その傷は深い。
 消失感という心の傷も、なかなか埋まることはない。家族を失った時。ペットを亡くした時。二度と会えない消失感は、人に絶望を与える。その傷がいつまでも疼く(ウズク)ことがある。この辛さは、並々ならぬものがある。傷は癒えて(イエテ)いるはずなのに、痛みは時として、疼いてくる。
 とはいえ、思い出も大切だ。忘れてしまうには、忍びない。人は日々思い出を刻んで生きている。記憶が無くなれば、昨日の自分と今日の自分は別の生き物だ。昨日と今日と明日は、記憶で結ばれていく。
 家内の顔は、よく覚えているつもりだが、薄れてくる時もある。思い出そうとすると、同じ顔、同じポーズになるのは、写真に依存しているからだ。普段の何気ない様子を思い出すには、かなりの集中力がいる。夢にも出ては来るが、もう毎日ではない。
 4年以上経ち、私の記憶力が落ちたのだろうか?私の心が離れたのだろうか?きっと、どちらでもないだろう。本能的に、人は過去を薄めて生きている。傷はすでに癒えているのに、痛みを伴う時があるということだ。

 従業員は誰でも、会社で活躍することを願っている。誰もが、今の居場所で輝いて、感謝されて報酬を得たいと思っている。それはとても正しいことだし、重要なことだ。だから、仕事のミスを叱られるのを嫌う。自分を否定されたように感じてしまうのだろう。そして、心に傷を負うと、心が病になって、会社を辞めていく。
 だが、叱る方は必ずしも叱りたいから叱っているわけではない。怒っている人は感情をぶつけているだけなので、言語道断だけれど、仕事を叱っている場合は、従業員の人格を否定しているわけじゃない。言い方が悪いこともあるかもしれないけれど、少なくとも、心に傷を負わせようなんて思ってはいない。気持ちを切り替えて、がんばって欲しいと思っているだけだ。
 ところが、その気持ちが伝わらないと、心を傷つけ、立ち上がる勇気が無くなる。過去の痛みを知っているから、怖くなるのだ。誰だって、痛いことを避けようとするのは当然の行為だ。だから、痛いと思うことから、逃げることは間違いじゃない。変えるべきは、経営者や上司の、従業員を傷つける言葉や態度なのだ。それをハラスメントと呼ぶ。
 結果を求めるよりも、経過を大事にしなければならない。そして、1mmの成長を一緒に喜ぼう。そうやって信頼関係を積み上げていけば、同じ言葉を発しても、心が負う傷の深さは、格段に変わってくるはずだ。そうすると、ハラスメントはなくなるのだ。
 禁止行為や禁止言葉を設定するのではなく、心に寄り添うことが、ハラスメント対策なのだ。心に負う傷と痛みは、本人にしかわからない。見ることが出来ないものだ。自分ごとにとらえ、その心に寄り添うことで、「傷と痛み」の深さ重さがわかるようになるはずだ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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