「年齢」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
子供の頃は、30歳という年齢は、だいぶ大人でおじさん予備軍だと思っていた。でも、自分が30歳になると、全然まだ若いと思ってしまう。
子供の頃は、40歳というと、かなりのおじさんだと思っていた。でも、自分が40歳になると、まだ若いと思ってしまう。
子供の頃は、50歳というと、もうおじいさんだと思っていた。当時の定年退職は55歳だ。祖父も50代後半で既におじいちゃんだった。でも、自分が50歳になると、まだまだ行ける!と思ってしまう。きっとこの後60歳になっても、70歳になっても変わらないのだろう。人は自分だけは永遠だと思いたがるものなのだ。だからこそ、気にせず生きて行けるのだろう。
日本人は年齢を気にする人は多い。例えば、若いときには、なめられないように、早く貫禄がついて欲しいと思う。
年を取ると、若いころの体力が懐かしく、肌の張りや、髪の白さ、筋力の落ちを気にするようになる。要するにない物ねだりをしているに過ぎない。
欧米では若い青年が上司で、頭の禿げあがった部下を引き連れていることも珍しくない。しかし、日本人男性のサラリーマンは、年下の相手だとすぐに上から目線をして、教えたがる。そのために、商談をぶち壊した人は何人も知っている。欧米人は、相手のことを正面から見る。会社名や年齢など、色眼鏡をかけて相手を見たりはしない。だから、相手がお客様であろうが、何であろうが、色眼鏡をかけた発言をすると、すぐにブチ切れる。年齢で上下関係を考える、儒教の影響を受けている日本人の悪い部分だ。
年上を敬うことは悪いことじゃない。そこに上下関係を当てはめるから、良くないってことだ。年上を敬うことそのものは、とても大事なことだと思う。また、年下も敬えば良いのではないか?
子供の頃は、60歳というと、おじいちゃんのイメージだった。ところが、いまは60歳はまだまだ定年にもならず、バリバリ活躍することが出来る時代だ。見た目もまだまだ、十分に美しい人が多い。
子供の頃は、70歳というと、もう棺桶に半分入ったようなものだと思っていた。ところが、祖父母は90歳過ぎまで生きたし、父はもうじき80歳になる。年齢では人のことを判断できない時代になったと、つくづく思う。人生100年時代と言うが、私が100歳になるには、まだ50年も先のことだ。そのころに、人生120年と言われるように変わっていたとしても、何も驚かない。ゴールに帰ってきたら、もう一周!って罰ゲームは良くある話だ。終わりが来るまで、走り続けるだけのことさ!
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ