「責任を取る」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
誰でも責任を取るということは、とても恐ろしく感じると思います。よく政治家などが、「責任を取って辞任します」と言って辞めますね。大企業でも引責辞任と言って、不祥事が起こると社長が辞めることがあります。では、責任を取るとは「辞める」ことなのでしょうか?
中小企業を経営していると、一人で大きな責任を背負うことになると思います。しかし、その重さは目に見えず、その苦しさも他人には理解できません。会社が大きくなり、人が増えれば増えるほど、その責任は大きくなると思います。会社に関わる人数とその家族への責任は、人数によって比例的に大きくなります。では、一体何の責任があるのでしょうか?
まず雇用したからには、雇用を続けるという責任がありますよね。事業を継続するためには、止むを得ず整理解雇をするという会社が多くありますが、本当は整理解雇をするくらいなら、雇わなければ良いのです。そもそも整理解雇のことを「リストラ」というと軽く感じてクビが切りやすいイメージになっていることもおかしい。姦通罪(男女とも)を「不倫」と呼んで、罪の意識が小さくなる人と同様だ。
要するに、雇用主は従業員に対して、雇用を続ける責任があります。また、協力メーカーに対しても、お客様に対しても当然責任があります。継続して仕入を行うことや、約束通りの支払いを行うこと。お客様の指定した納期に、納品すること。金融機関にお借りしたお金を返済すること。毎日行っている業務のほとんどが、責任の塊ですよね。どれ一つ欠けてはならないものです。では、もしそれが行えなかった場合。あなたは会社を辞めるのですか?違いますよね?何としてでも、責任を果たそうと奔走することでしょう。それが、責任を取るということですよね。退職金をもらって辞めるようなヌルイ責任の取り方など、責任を全うしたとは言えませんね。単に逃げているだけです。
では、頑張ったけれど責任が取れなかった場合はどうしたらよいのでしょうか?そんなことは考えたくないと思いますが、知っておく必要はありますよね。まさか、切腹しろと言っているわけじゃありません。勘違いされている方が多いのは、生命保険で支払いをして、整理を付けようと、自害をされる経営者が多くいる日本では、責任の取り方は切腹だと思われている方が、いまも多くいるのではないでしょうか?
ご安心ください。ここは資本主義の世の中です。生きてさえいれば、何度でもやり直しが出来るのです。とても生きにくくなることもあり得ますが、諦めずに生き続ければ、道は開かれます。誰もあなたの命など欲しいと思っていないのです。死ぬのは逃げと同じ、政治家が退職金をもらって辞めるのと同じです。
アメリカのトランプ前大統領は今までに4回自己破産をしてやり直しています。極端な例ですが、日本では自己破産をすると再起不能になる場合が多いので、何としても借金は返さなければなりません。ところが、倒産は数回しているという社長さんって意外といるんです。そしてきちんと責任を取って再起を果たしている。
資本主義の世において、「責任」をとる。ということは、「経済的に損をする」ということです。つまり、お金を払えば許されるのです。なんだ、そんなことで良いのか?と思われるでしょう。
例えば、裁判で訴訟になった場合、刑事事件なら罰金の他に懲役や禁固などが課せられますが、民事の場合には、罰金以外にあり得ません。つまり、「あなたは罪を犯した、この罰金を払って、責任を取りなさい!」という判決になるのです。刑事裁判以外すべて(民事裁判所、簡易裁判所、家庭裁判所、)を経験している私が言っているのだから、間違いありません。
ですから、命までは取られることはないのです。絶望せずに自分の命が尽きるまで諦めなければ、また日の目を見る可能性が、必ずあるということです。苦しい時もあるでしょう。固定費を下げるため、切り捨てるべきものに頭を悩ますときもあるでしょう。
私は従業員のクビなど切れません。自分も辞めません。お金は借りればいいんです。そして、お金を回せばいいんです。それが、経営をすることだと思っています。皆さん、諦めずに生き抜きましょう。生きてさえいれば、必ず良いことがあります。私が責任を持って保証します。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ