「挑戦」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。今日で950日目です。
何かしたいことがあるのなら、人にこう聞いたらダメだ。「自分は〇〇になれるかな?」そう問いを立てた瞬間、あなたは自分で自分の可能性を殺したことになる。
挑戦をするなら、必ず勝て!挑戦するなら、必ず「ありたい姿」になると宣言しましょう。そうすると、行動すべき現実が見えてきます。人に言うならこう言うべきだ。「自分は〇〇になるんです!」と。えっ!失敗した時?そんなのその時に考えればいいって、たいていは笑ってごまかすさ!
挑戦したいことがあるなら、お金のために今の会社にいるというのも、一つの方法かもしれないが、私なら借金してでもやるべきと思う。いまは金利が低いままインフレになったのだから、借りるのにこんなにチャンスはない。挑戦するには最高の時期だ。
実力がない?資格がない?語学が足りない?そんなのやりながら覚えればいいんじゃないの?とにかく「やろう!」って気があるか?ないか?の方が大事だ。私はダンケ(ありがとう)しかドイツ語を知らずにオーストリアへ行って、何とか生きてきたし、アパートも自分で見つけた。要はやるか、やらぬかだ。人の情けにすがって、感謝することも、また勉強なのだ。
挑戦をするにあたり、一番考慮してはいけないのは、失敗した時の心配だ。そう言うと、無計画、無鉄砲で行う方が怖い。大きな借金を作るだけ。と言われることが多い。私は何も経営初心者に、無謀な賭けをしろとは言っていない。そもそも、財務諸表が読める経営力があるのは前提だ。
全く素地がないのに、知らない世界に飛び込めとは言っていない。なぜ、あなたはそれをやりたいのか?興味を持っているだけに、それ相応の知識を持っているのは当然だろう。その知識を活かす場が欲しいだけで、その場に巡り合っていないだけなら、いままでの実績など「ゼロ」でも良いので、「挑戦」すべきだと思う。実績はこれからついて行くのだ。
よく挑戦しようとしている者を引き留める者がいる。友達だからこそ、ここは否定してあげないと。そう思うようだが、そう思うべきポイントがまったく違う。友達が「挑戦」しようとしているなら、「お前ならできるよ!がんばれよ!」と送り出してやるのが、本当の友情だと思う。「やめとけよ!失敗する可能性が高いよ!ヤバイって」などと言う友人とは、縁を切ることをお勧めする。そういう輩は、上手く行くと「お前ならやると思ってたよ!」と言い、失敗すると「だからオレがやめろって言ったじゃないか!」というタイプだ。もはやそれは友人じゃない。自分では何もできない、単なるお調子者の評論家だ。
本当の友達は、失敗して帰ってきた友人に。「おー!良くやったじゃないか!まあ飲めよ!今日はおごりだ」位のことを出来る者だ。そんな人物があなたには何人いるだろう?そう何人もいないだろう。私は一人でもいれば良いと思っている。
「挑戦」した者は美しい。例え失敗したとしても。生きることは、「挑戦」し続けることだ。体が衰えても、髪が白くなっても、その燃え立つ心がありさえすれば、「挑戦」する人はいつまでも美しい。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ