「間違い」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 仕事に間違いがあってはならない。と思っている人が多い。確かに正確であることは美徳だが、それを維持するためにかける時間を考えれば、多少間違いがあっても、私は早い方が良いと思っている。
 人が間違いを嫌うのは、間違ったことを人に指摘されるからだ。ダメ出しをされるからだ。そして、精神的に追い詰められるからやる気がなくなり、間違いを恐れ、挑戦しなくなってしまうのだ。
 ダメ出しをする方は、鬼の首を取ったかのように、他人の仕事の間違いを指摘したがる。なぜなら、間違いを指摘すれば、自分の方がその人よりも仕事ができるかのように思えるから。その人より上にマウントできるから。自分の有用性を他に知らしめることが出来るから。必死に他人の荒捜しをする。というわけだ。

 そもそも人間は間違いを犯す生き物だ。「人を愛すべきものにしているのは、その迷いや間違いである」とゲーテが言ったように、人の間違いには寛容でなければならない。もし、絶対に間違えてはならない経理などの仕事であれば、そもそも間違える人間を使うのを止めて、すべてAIによりロボット化を行うしかない。むしろ、その方が精神衛生上も、会社の運営はやりやすくなるはずだ。不正も減るはずだ。

 間違いを指摘する人は、目的を見失っていると思う。協力メーカーをいじめるのが目的ではないはずだ。より良い仕事を、一緒に構築していくのであれば、協力メーカーの間違いを指摘するのではなく、なぜ間違えるのかを突き詰めなければ、間違いはなくならない。人がケアレスミスするような部分があれば、自動化できないかを検討すべきだ。
 お客様が「間違い」を指摘するから、協力メーカーは中途半端なものは出せない。と思い、スピードが落ちる。納期いっぱいで納品されたものを確認すると、方向性が違っていることに気がついた。しかし、協力メーカーにはもはや修正する時間はなく、お客様はそのまま進めるか?納期を伸ばすか?選択を迫られることになる。これは、協力メーカーが悪いのではなく、重箱の隅を突いて、「間違い」を指摘することが目的化していた、お客様に問題があるのだ。我が社は、このようなお客様は、すぐに上司に問題報告をしている。上司や社長がその問題に向き合おうとしない場合には、その客とは「さようなら」することにしている。

 社内でも同様だ。部下の間違いを指摘するのが目的ではない。より良いものをお客様に納品することも、目的じゃない。質が左右されるのは、「間違い探し」の結果ではない。従業員の心の余裕の問題だ。
 「間違い」を指摘する目的は、部下の成長を促すことだ。それが、企業理念を達成させる近道だからだ。それが分からない者は、仕事の「間違い」を指摘する資格はない。
 間違っても良いのです。仕事の仕方は、修正が出来るように早く提出し、方向性を確認しながら、徐々に仕上げていくのです。自分で完結させず、人を巻き込んで、一緒に仕事を進めるのが、正しい仕事の進め方です。「間違い」があれば、関わった人全員の責任だ。そして、最終的にはすべて、社長の責任だ。
 従業員が勝手な仕事をするのではない。勝手をさせた社長に問題がある。全員に目が届かない?目の届く仕組みを作らなかった社長の責任だ。「間違い」があった場合、すべての責任は社長にある。従業員は「間違い」を恐れず、挑戦して欲しい。自分は1円も損しないのだからね。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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