「食べる」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 なぜ生き物は、他の生き物を捕食するのか?人はなぜ、食べなければならないのか?人は生まれた時から食べ続け、ウ〇コを製造し続ける。そして、細胞はどんどん入れ替わっていく。皮膚や血液は1~4か月ですべて入れ替わり、骨でさえも4年で入れ替わるのだそうだ。つまり、人間の細胞は4年ですべて入れ替わっており、当初の細胞など全くなくなっているというわけだ。体に関しては、何度も生まれ変わっているといえる。
 地球上の生命は、本能的には、食べることと、眠ること、子孫を残すために生きている。だが、人は本能を抑え、思考を手に入れた。そのため、生きる目的は食べることや子孫を残すことではなくなっている。日本国憲法第13条の通り「すべての人が、幸せ追及の権利」を有するわけだ。だから子孫は残せなくても、種として残っていれば、妥協はできるだろう。それでも、食べることと、寝ることは、やはり全固体で必要となる。だから、食べることに休日はないのだ。
 それでは、どの程度食べるべきか?という部分も大事になる。痩せるためにダイエットをする人がいるが、個人的にはダイエットという行為は、とても嫌いだ。アンナ・カレーニナの時代のロシアでは、太っている方が美しいと思われていた。時代が変われば、求められることも変わる。だが、どれほど言っても、女性は太ることを気にする。

 子供の頃は食事の時間がとても嫌いだった。保育園の給食では、いつも部屋の端に机を移動され、皆の前で「さらし者」にされて、最後まで食べさせられた。食べる量やスピードには個人差があるのに、まったく理解されることはなかった。給食の時間は大変な苦痛だった。そんな子が、食べることを好きになるわけがない。
 父の田舎では、メチャクチャに食べる。マンガのようにお茶碗にてんこ盛りでご飯をよそられたのには、正直目を丸くした。そして、私が食事を残すと「八王子のもんは全然食べん!」と祖母が母に小言を言っているのが、たまらなく嫌だった。
 だから高校に上がるまで、私は背が小さく、背の順はいつも前から2番だった。高校2年の時から無性に腹が空き、お弁当を早弁と合わせて2回食べるようになり、めきめき背が伸びた。現在は169cmだから、大きくはないが、特に小さくはないだろう。
 21歳頃だろうか?遊ぶ金欲しさに、食費を削り、1日1食にした。食というのは慣れだ。最初は空腹で仕方なかったけれど、すぐに慣れた。ウィーンに住んでいた時も、毎日夕食しか食べていなかった。断食は3日連続までしかしていないが、体力の落ち方的には少し恐ろしい感じがした。脂肪の蓄えが少ないせいか、自分の燃費の悪さがよく分かった。要するに、食い溜めができないタイプのようだ。
 結婚した28歳の時、体重は50kgしかなく、肉がなさ過ぎてあばらが出ていた。その後、家内の手料理で太り、最大で65kgまで行った。いまは中年で太ってきたが、筋力の低下のせいだろう。体重も60kgと普通だ。当然、ダイエットをしたりはしていない。自然に任せている。いまは1日2食で昼と夜だけだ。夕食後に14~16時間の間が空くので、昼食は一番空腹を感じる。自作のお弁当にこだわるゆえんである。いまはそれなりに食事を楽しめているが、小学生の頃は食べることが苦痛だった。

 人口の増加は、自然の生き物を捕食するのではなく、生産することを覚えた人間、化学肥料を発明した人間だけが行っている行為だ。自然の摂理に反している。食べる物が増えれば、人口増加に適応できるわけだ。
 日本人男性はいまでも、女性に求める部分が「料理」の人が多い。「食べる」ことへのこだわりが強い。私は結婚後、母の料理の味はすぐに忘れた。そこにこだわりがないからだ。母親の料理と妻の料理を比較して、離婚に至った友人もいる。私的には、本能の部分であり、こだわる内容だとは思っていない。まあ、家内は料理のセンスが良かった、という幸運もあり、毎年1kg確実に太ったという側面もあるのだが、現在のように自炊をしていても、大きなこだわりは持っていない。あえて言えば、高くてまずいコンビニ弁当を買わないようにする位のこだわりだ。
 ウ〇コ製造機である人間が増える条件は、「食べる」ことが条件なわけだ。そして、その排せつ物が肥料になる。その肥料で育った作物を、また人は食べるわけだ。地球という生物のサイクルは、非常によくできたシステムだと思う。あなたは「食べる」ことに、どの程度のこだわりがありますか?一緒に生活する者は、ここで大きな障害になると思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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