「言葉で伝える」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
人は会って話すと、肌が空気に触れる感覚も含めて、相手の印象が伝わります。言葉にしなくても伝わる部分があるということです。
例えば、昔の剣客などは「剣気」を発して、相手を威嚇し、それだけで刃を交えずとも強さがわかったと言います。他の武術やスポーツ選手なども同様でしょう。
ですが、人のコミュニケーションの基礎は「言葉」です。言葉にせずとも「あ、うん」の呼吸で理解しあえる。という人はごく稀で、何かを極めた者どうしにしか伝わりません。ほとんど超能力者に近いと思います。我々のような凡人ほど、きちんと言葉にして丁寧に伝えなければ、必ず誤解を招きます。きちんと伝えたつもりなのに、誤解を招くのですから、「あ、うん」の呼吸など夢のまた夢だと思います。
みなさんはお客様や社員に、どの程度言葉で伝えているでしょうか?結構はしょっていませんか?それが従業員の不満になっていることもあります。
「これやっといて!」という指示よりも、「いま〇〇が立て込んでいるところで、悪いけどこれを先に仕上げてくれる?」と少し言葉が長くなった方が、気持ちも伝わりますよね。「わかっているだろう」ではなく、あえてそれを言葉にすることが重要だと思います。むしろ、「君のことをちゃんと見ているよ」とアピールすべきです。結構できませんよね?
人は元々、コミュニケーション能力に長けた生物ではないと思います。言葉という万国共通にならないコミュニケーションツール以外に手段を持たないのですから、かなり不自由な生物の一つだと思います。ですから、きちんと伝える努力をしなければ、思った結果が出ないのは当然です。伝えた側に多くの責任が感じられますよね?
家族とのトラブルの多くは、伝え方が不十分であることがあげられます。なぜかというと、家族の場合、「わかるだろ?」「わかってくれるだろう?」という「甘え」があるからだと思います。言わなくても「察しろ」というのは完全な「甘え」だ。家族であっても言わなければ分からない。言ったところで正確に伝えなければ、相手に真心は届かない。人はそんな面倒な生き物なのです。
例えば、毎日の食事の用意。いつものことで当たり前になっていますが、「いつもありがとう」と心の中で言うのではなく、言葉に出してみてください。配偶者や両親の反応は全く違ったものになるはずです。
配偶者の方に「愛しています」「いつも感謝しています」という言葉を1年に何度言葉にしているでしょうか?結構皆さん苦手なのではないでしょうか?私の住んでいた欧州では、そのような言葉は毎日です。言語化できないものは、信用をされません。日本のように、空気を読むという努力は行わず、ハッキリと言語化する文化だからです。最初は恥ずかしいですが、意外と慣れると行けるものです。まずは、月に1回言葉に出して言ってみてください。そのうち、毎日言えるようになります。私はこの手のことが得意で、毎日家内に「今日もかわいいね」「大好き」「愛している」と連呼しています。
他人に対しても結構言います。演奏会でも「ヴラヴォー」を叫びますし、お店の店員さんなども普通にほめています。本人は照れ臭そうですが、余計なことをするな!という風潮が強い我が国とは違い、欧米人はまず褒めるところからコミュニケーションを始めます。欧州に住んでいた頃、公園でサッカーをしている同年代の青年達に仲間に入れてもらった時、「君がロナウドみたいに上手いから、一緒にサッカーをしたくなったよ」と言ったら、すぐに仲間に入れてくれて一緒に試合をしたことを覚えている。欧米人は結構分かりやすいのだ。
日本は、他人を叱るよりも身内に厳しく叱ることもあると思います。他者への「示しがつかない」とか、「身内は他人より厳しく」という文化もありますが、他者がいなくなったときにフォローをしなければ、身内でも心は冷えていきます。他人の見えないところでどれだけ「言葉で発しているか」が重要だと思います。
人は気持ちを伝えるのに、普通の人は「言葉」以外の手段を持ちません。何気なく利用している「言葉」。ですが、とても大事な「言葉」。
言葉には「言霊」(コトダマ)があって、人を傷つけもするし、人を救うこともあります。そして一度発してしまうと「言霊」の力で独り歩きしてしまうそうです。言葉には、人の心が宿るということです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ