「年齢を気にする」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
日本人はとにかく年齢を気にする人種だ。ニュースに出る容疑者の名前の横には必ず(年齢)が入る。ノーベル賞を受賞した人にも名前の横にも(年齢)が入る。
その出来事と年齢に関係がないのに、なぜ年齢を表記するのであろうか?欧米のテレビでは、そのようなことは一度も目にしなかった。
海外でビジネスをする際、年齢を気にするのは致命的だ。海外では、普通に年齢に関係なく上下関係が決まっている。年下の上司、年上の部下など当たり前だ。それをある日本の社長が、上司として出てきた人が明らかに自分の息子程度の年齢だった時、急に上から目線になり、商談をぶち壊したことがあった。本人はいまもあの話が流れた原因が自分にあるとは、夢にも思っていないだろう。
年齢という属性で決まるのは、単に成人したのか?していないのか?それだけだ。アメリカへ行くと酒を注文するたび、スーパーのレジで毎回「IDを確認」と言われる。こんな見た目おじさんなのに、年齢確認が必要かよ!と思うのだが、まあ仕方ない。パスポートをいつも持っていれば済むことだが、短期出張ではなくコンドミニアムに長期滞在の時などはパスポートを忘れて困ったことがあった。
つまりは、子供ではなくなった時点で、大人はみな平等であり、年齢に関係なく、その人の能力や生き方で、その評価は変わるということだ。50歳になっても親の顔色をうかがわないとならない人は精神的に子供なのだが、それは個人の事であり、重要じゃない。ただ、その人が自分と関わらなければならない場合には、言うべきことをきっぱりという。それが欧米人のやり方だ。
自分の足で自立したのなら、年齢など関係なく、すべてのことに自分で責任を持ち、すべての事を、自分で決めるのが大人である。年齢で決定権が変わるわけではない。年齢で出来ることが分かるわけではない。日本人もそろそろ、年齢を気にするのはやめるべきだと思う。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ