「成果と結果」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 成果と結果は異なります。お客様や一緒に働く人たちは、あなたに「成果」を求めます。アウトプットですね。
 あなたが行動しても、しなくても、必ず「結果」は出てきます。それは、アウトプットとは言いません。結果を出すとは、言外に「良い」という言葉が省略されているに過ぎない。良くない結果も、何もしなかったゆえに、困難に陥るのも、すべて結果だ。だから、我々は、「成果」を求めて行動すべきなのです。だから、我々の努力は「成果」に向けてこそ、行うべきで、個人のこだわりのために行うべきことではありません。個人のこだわりは、芸術性の追求であり、必ずしも「成果」に結びつかない、非生産的な行為になる場合があります。

 成果など、他人の価値観の押しつけだ。そんなことのために、毎日多くの残業をして、休日を返上して働いて、何になろう?そう思う人も多くいるだろう。確かに自分を犠牲にしてまで、上司や会社に縛られる必要はない。しかし、生活の為だけに働いているのなら、そこに「生きがい」はなくなってしまう。他に生きがいを持っているから問題ない?家族?恋人?趣味?ゲーム?それは、あなたが生きて行うべきことなのだろうか?あなたにやってもらわなければ、ならないことなのだろうか?惰性で生きて、「結果」だけが残る人生で良いのだろうか?
 会社は個人と社会の架け橋だ。一人ひとりの個人が、世の中多くの人とつながるのは難しい。あなたが行う役割を求める人を探すのも、整理するのも大変だ。それに、あなたが求めるサービスや商品は、個人相手ですべてそろうだろうか?だが、会社という組織があれば、現状それはある程度満たされているだろう。否!過剰に満たされていると思う。人の欲望には際限がないので、渇望が潤されることはないけれど、十分に豊かになっているはずだ。そのような商品やサービスを提供すれば、あなたは自然と社会につながることが出来るのだ。そこで「成果」を求められるというわけだ。

 人としては、成果が出ない結果になったとしても、それに至るまでの経緯は大切にしたいし、認めてあげるべきだ。だが、仕事は非情に「成果」だけを求められる。成果を必ず求める者は、お客様であり、それは個人だけに責任はない。社内で協力して当たらねばならないことだ。
 それでは、成果の出せない人を切り捨てるのではなく、どうやったら成果が出るかを、一緒に考えるのが、職場の仲間であり、上司の役割だ。人事評価とはそのために行うのである。給与を決めることが目的じゃない。
 優秀な人材が入って来ることなど決してない。入社してくる者はみな素人だ。それを「成果」の出せる人材に育てることが、結果的に、多くの人のためになれる人材に育つということだ。人事評価の成果となるわけだ。
 人のために仕事ができるようになれば、その人材は、いまの会社を居心地の良い場所と思って、長く働いてくれるだろう。もしかしたら、その従業員の子供も、同じ会社で働きたくなるかもしれない。そうすれば、その会社は将来安泰だ。それこそ、経営の「成果」が出たといえる。
 「結果」を受け入れるのではなく、求められる「成果」を果たし、社会の一部となることで、自分の居場所を確立できるのです。誰かのために働いて、誰かの行ってくれるサービスに感謝して、生きて行くことが出来れば、「成果」のある人生ではないでしょうか?

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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