「受け入れる」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人が心豊かで幸せに生きるには、何事も「受け入れる」必要がある。未来を不安に思う者は、みな「受け入れる」ことを許容できずに、自分の力で抗おうとして、余計な不安から不眠や食欲不振。病気になるのだ。
 自分ではどうにもならないことに、イライラし、怒りをぶちまけ、抗おうとする者は、結局心もボロボロになり、体力を削り、心身ともに満身創痍となる。それで、望んだ未来を手に入れられる者は、極稀だ。ボロボロになった状態で目的を果たしても、果たして幸せなのだろうか?とても、そうは見えない状態だ。

 ある経営者は毎日不安を抱えていた。自社の商品を出荷するのに、自社のトラックに荷物を載せて運ばせているが、社員の運転するトラックが事故に巻き込まれれば、商品はすべて台無しになってしまう。社員が怪我をしたら、その保証は大変な金額になる。自社のトラックが事故を起こしたのなら、他者への保証も増えて会社が倒産するのではないか?そう思って、夜も眠れない日々を過ごしていたそうだ。
 その経営者は、ある時ふと気がついた。もしものことを考えて不安に思っていても何も変わらない。それでは、どの程度事故が起きているかを警視庁のサイトで見てみることにしたのだ。都道府県別で最も事故が多い東京都の状況を見ると、保有している自動車数に対して、重大な事故の件数はわずか、0.8%の割合でしか起こっていなかったのだ!つまり、1年トラックを運航しても、2回事故があるかどうかというレベルだと知ったのだった。毎日、自分は胃がキリキリ痛む思いをしていたのに、なんと愚かな不安を抱いていたのか?年に2回程度なら、いま入っている保険で十分じゃないか!そう思うと、将来の不安はたちどころに消え、安眠が出来るようになったとのことだ。まずは「受け入れる」ということの重要性がわかる例である。

 ある人が、職場の事故で指を2本切断してしまったそうだ。障碍者となったその人は、自分の不幸を呪い、事故のために自分が出来なくなったことを嘆き、職場に憤った。利き手の指だったことから、毎日何をするにも不便で、その人の怒りや嘆きはおさまることがなく、心もどんどんすさんで行った。
 その人はある老人と知り合うことになった。その老人は利き手が手首から先が無くなっていたのだ。それでも、いつも明るく幸せそうにしていた。その人は、なぜ老人がいつも楽しそうなのか気になったので、手のことを気にしていないかを聞いてみた。するとその老人はこういった。「そりゃあ最初は不便だよ。でもね。人間なんて案外そんなもんだ、手を失ったけど、命は残った。もしかしたら、目を失っていたかもしれない。それに比べりゃ、そんなに不幸じゃないってね、そう思えたんだよ。いまでは自分の手がないってことは忘れちまって、月に一度くらいしか思い出さんね」と言って笑った。
 その人は衝撃を受け、自分の考えが間違っていたことを知った。そして、残った指だけで出来る仕事を必死に行い、いつしか指が足りないことを、誇りに思えるようにまでなったそうです。すべては「受け入れる」ことから始まるということです。

 当然、何事も受け入れて受動的であれば、不安も無くなり幸せだと言っているわけじゃない。自分の努力で打開できる見込みがある部分は、能動的に動かなければならない。だが、自分にはどうにもならないことは、世の中には多くある。目の前の渋滞をどうにかしようにも、あなたにそれを解消する手立てはない。隣国からミサイルが飛んできたとしても、あなたが騒ぎ立てたところで、隣国が挑発をやめることは、あり得ない。政府の対応をどれ程批判したとしても、選挙で勝たせてしまったからには、次の選挙まであなたには、どうすることもできない。そんなどうにもならないことに抗い、傷ついてボロボロになるくらいなら、あなたに出来る目の前の仕事や勉強に邁進し、あなたの半径3mの家族や隣人を、少しでも助けてあげて欲しい。そのあなたの温かさや、優しさには限りがあるのだから、自分にコントロールできないことは受け入れて、自分に出来ることに時間を使って欲しい。「受け入れる」ことが出来れば、将来の不安も解消し、心豊かで幸せに生きていける。私はそう信じている。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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