「正義」
第1,353回
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
いままでに何度も「正義」については話をしている。だが、改めて同じ話をする。理由は簡単だ。この世に「正義」などないということを、理解できない人が多いからだ。
こどもの頃は分かりやすかった。町を破壊する悪者がいて、その悪者と戦うヒーローが「正義」の味方であり、それが正しいことだと信じていた。
ところが、大人になるとその「正義」はとらえどころがなくなり、ハッキリと手につかむことが出来なくなるのだ。なぜだか分かるだろうか?それは、人によって、立場によって、「正義」とは変化してしまうものだからだ。
この世は理不尽な世の中だ。生きていくこととはそういうことだ。しかし、普通に生きていればそのような理不尽にはあまり出くわさない。ましてや、裁判になるようなことは一生ない人の方が多いだろう。せいぜい、社内トラブルや交通事故が関の山だろう。
そんな人が、大きな理不尽に出会うと、自分の「正義」がまかり通らないという事態に絶望してしまうのだ。法律も憲法も、しょせんは人の作ったルールだ。司法は絶対じゃない。むしろ、国民に対して完全にフェアーとは言えない判決が数多くある。検察も同様だ。分かりやすいところでいえば、公務員どうしかばい合うのだ。
財務省の公用車で、財務省職員が国会前でひき逃げ事故を起こした。被害者は死亡しているのに、検察は不起訴にしている。国家権力は国民の命すら軽んじているという事実がここにある。つまり、法など「正義」にはなり得ないのだ。
憲法第15条には、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」となっているが、ここでいう公務員とは、職員ではなく国会議員を指すのだ。国家公務員という職員の場合、憲法にも法律にも記載がないが、いままでの判例で「個人として責任に服することはない」と決まっている。つまり、国家公務員相手では、どのような理不尽、たとえ命を奪われても、国が守ってしまうため、責任追及が出来ない。国家損害賠償しか行えないのだ。国が懲役になることはないので、国からお金をいくらもらえるか?それだけしか責任追及が出来ないのである。
故に、国家権力というものは理不尽の塊であり、そこに「正義」など決して存在はしないのである。これは事実であり、認めるしかない事実なのである。
こどもの頃は分かりやすかった。町を破壊する悪者がいて、その悪者と戦うヒーローが「正義」の味方であり、それが正しいことだと信じていた。
個人よりも大きな権力に潰され、自分の「正義」を失ったことがある人にしか分からないことだろう。この世の理不尽に泣き、世界を呪って死んでいった者も多くいる。それが現実だと知るべきだ。そして自分の「正義」を押し通すことの愚かさを知るべきだ。
諦めろと言っているのではない、自分のコントロール下におけることに集中すべきなのだ。たった一人で国家権力と戦うなんて、竹槍で戦闘機と戦うようなものだ。自分にできることを見誤らず、淡々とそれをやり続ける以外にないのだ。
だから何度でも言う。この世に「正義」などないのだ!「正義」のヒーローなど、あり得ないのだ!それが私の「正義」である。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
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シンジ