「安く」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。今日で1,077日目です。

 日本の製造業は、見積りを取って「安く」した方に発注する。相見積もりなどを行って、「安く」することこそ正義になっている。そして、デフレの世にしてしまい、ついに崩壊した。現在の日本の製造業は、もはや危機的状況だ。私の予想では、いずれにしろほとんどの中小製造企業は消えてなくなるだろう。要するに町工場がなくなっていくのだ。
 一部の大手企業と、その傘下の企業のみが残るようになるだろう。資源のない日本は、素材を輸入して、製品にして輸出する技術立国ではもうないということだ。それを行ったのは、1円でも「安く」と呪詛のように繰り返した大手企業の購買部に責任がある。バタフライ効果を鑑みず、日本をデフレにした責任が、自分には一切ないかのようにふるまっている人間ほど愚かな者はない。その愚か者たちが行っていたのは単なる保身だ。自分が責任を取ることがないように、1円でも「安く」していれば、業者選択における責任を問われることがなかったからだ。そんな一部の人間の保身のために、日本の製造業は死んでしまったのだ。実にアホらしい話である。

 中小企業側にも問題がある。それは、法律を勉強することなく、単に商習慣に沿って見積りに精を出したが故である。私から言わせれば、見積りなど適当で良いのだ。正式な見積書など、私は絶対に必要な状況にならない限り、発行を断っている。発注書や納品書も同様だ。請求書以外に「書の流れ」は不要なのだ。
 諾成契約(ダクセイケイヤク)と言って、契約書などなくとも、売買は成立するのだ。普段我々も行っている買い物。例えばコンビニでペットボトルのお茶を買うのに、見積書などもらわないし、発注書などわたさない。納品書ももらわないし、受領書もわたさない。請求書ももらわずに、レジスターに金額が提示され、それを支払うと商品と交換してもらい、最後に唯一取引があったことを記録したレシート(領収書)が発行される。法的には3年間の保温義務があるが、それすらも受け取らずそのまま捨てていく人が多い。最近はレシートも電子化され、紙で発行されるものは何もなくなってきてさえいる。
 それなのに、企業対企業になった途端、なぜ見積書や発注書など、面倒なことを行うのだろうか?それは簡単だ。商習慣だからだ。なければならない物と、思い込んでいるからだ。
 見積りなど正確に行うことは不可能だ。そこを相談して、金額の精度を上げて行けば良いものを、中小企業側が勝手に忖度して、価格競争を始めるから、見積書の金額しか購買は見なくなるのだ。デフレを誘発しているのは、お互い様というわけだ。

 世の中の「安く」「安く」という呪詛は、自分の給与を「安く」と言っていることに気づかないおバカさんが、過半数を超えているからデフレになるのです。ほら、そこのあなた、あなたのことですよ!気を付けた方がいい。あなたの言っているその「安く」という言葉は、未来の歴史家に冷笑される行為ですよ!

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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