「ヒマ人」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
恋をすることは、大事なことだ。だが一方で芥川龍之介の「朱需(コビト)の言葉」にあるように、恋にうつつをぬかすのには、時間が必要だ。
我々を恋愛から救うものは理性よりも寧ろ多忙である。恋愛もまた完全に行われる為には何よりも時間を持たなければならぬ。ウェルテル、ロミオ、トリスタン・・・古来の恋人を考えて見ても、彼等は皆閑人(ヒマジン)ばかりである。(朱需の言葉より)
ウェルテル(ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。夫のいるロッテに恋し悩むウェルテルの物語)
ロミオ(シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」)
トリスタン(作者不詳の中世の話し「トリスタンとイゾルデ」。騎士トリスタンと王妃イゾルデの悲恋の物語)
ウェルテルもロミオも貴族で、毎日働かなくてよく、時間を持て余していた。トリスタンにしろ、戦いに明け暮れて多忙なら、恋などしなかったろうに。そして、どれも悲劇で終わっている。劇やオペラの題材としては面白いが、実生活で考えれば、これほどばからしいことはない。
私は何も「恋をするな」とは言っていない。ただ、恋をするには時間が余っていないと出来ないということは確かだ。要するに「ヒマ人」ということだ。また、「ヒマ人」ということは、若いということだ。
私も若い時は時間つぶしにパチンコに行き、麻雀に興じていたが、本当に時間の大切さを知らなかった。「ヒマ人」だと次にするのは、異性のケツを追いかけることだ。そして、肘鉄を食らうことになる。そして恋に破れると、また「ヒマ人」は、賭け事に熱中する。だから、いつも金がなかった。そんな時ほど、時間だけは持っているものだ。私はその時間を作曲に使うようになって変わったと思う。友人からの誘惑を振り払うため、オーストリアへ行ったのも良かったと思う。そうやって作った時間は、大変貴重だ。なんとなく生きている時の時間は、全く価値がなく「ヒマ人」の時間だ。
逆に辛く悲しいことがあった時、ヒマ人な人ほど心が壊れる。自殺願望が強くなる。逆に、辛く悲しいことを乗り越えるには、忙しくしているに限る。目が回るほど忙しくして、忘れてしまえばいい。どんなに悲しくても、一瞬たりとも忘れたくないことでも、忙しさの中では、それは忘れ去られ、徐々にその容積を減らして行くものなのだ。悲しさや辛さを乗り越えるには、忙しくして黙々と仕事に打ち込むことだ。それが最善策なのだ。
いまは「ヒマ人」であったときが懐かしい。私は常に時間が足りない。やるべきことは無限に持っている。だからとても幸せだ。あとは、どこまでできるか?どこまでやり続けられるか?それだけだ。それにいまも家内に恋しているので、他の女のケツを追い回す気もしないし、そんな時間もない。忙しくしていれば、家内のことも忘れられる。
自分のやるべきことも見つからず、生きる意味も見いだせず、時間を無駄にして金がない。そんな「ヒマ人」とは、罪な生き物だと、今更ながら思う。あなたは「ヒマ人」ですか?
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ