「コミュニケーション」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 コミュニケーション能力があるとか、コミュニケーション不全だとか、いろいろ言うけれど、口が上手ければ良いってことじゃない。突っ込みが上手ければ良いってことじゃない。
 コミュニケーションとは、人と人の繋がりに際しての意思伝達のことだ。一人じゃあり得ないし、言語以外の五感を刺激する何かでも構わない。何だかよくわなからない「空気感」でも構わないのです。
 コミュニケーションは深さや濃度じゃない。大切なのは回数だ。量といっても良い。その人との接触回数を増やすことで、段々警戒心は消えていく。偶然出会った時には、ものすごく近いしい人になってしまう。嫌いだった人が、回数を重ねているうちに、急に親しい人のように思えることもある。

 結婚前、私は偶然家内と2度出会った。一度目はヴァイオリンのレッスン時に、私が先生の最寄り駅に到着した時に、家内は帰るところだった。それまで、レッスンでかぶることはなく、数人で集まってアンサンブルを楽しむ関係なだけで、このように外でばったり会うことはなかった。
 2度目はもっと衝撃的だった。私も家内も八王子に住んでいた。隣の町田市はそれ程遠いわけではないが、しょっちゅう行く場所ではないのに、友人を小田急線に送って私は横浜線の方に帰ろうと歩いていたら、小田急線の方に歩いてくる家内と家内の友人にばったり出会ったのだ。少し立ち話をしただけだったが、まったく私のことを意識していなかった家内は、きっとこの時から私のことを認識してくれたのだと思う。このようなことを邂逅(カイコウ)と言うのだろうか?

 コミュニケーションというと、気の利いた話や、テンポの良い話術と思う人が多いが、一緒にいて何もしゃべらず、ぼーっとしているだけでも楽しいと思えれば、それでコミュニケーションは出来ていると思っている。
 コロナになって、人と会う機会が減った人が多いが、私は人と会う機会が増えた。むしろ、意図的に増やしてきた。だから、SNSも始めたし、ブログも始めた。何もこだわることはない。ただやればいいだけだ。自分でしたいことをすればいい。だって、自分の人生なのだから。
 炎上を気にするだの、失礼があるかもしれないなど、気にすることはない。失敗したって何を失いますか?失うものばかりに目が行き、人と会ってコミュニケーションをする大切さを見失っていませんか?
 人が人として生きていくには、コミュニケーションは避けて通れません。むしろ、人生の成功者は皆、コミュニケーションが好きです。人が好きです。人生を楽しんでいます。
 人と笑いあうことが幸せの定義と思っています。一人で笑っていたら、気持ち悪いじゃないですか?色々な方とお会いして、ニコニコして毎日を過ごせれば、もうそれ以上に何を望むのでしょう?コミュニケーションは、人を幸せにする素晴らしいツールなのです!

 家内を失って絶望の悲しみから復活した私は、いまとても幸せです。それは、自分以外の多くの方々のおかげです。いつも読んで頂けるみなさんに、とてもとても感謝しております。みなさんのおかげで、いまの私があります。本当にありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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