「みたい」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 時々、私の曲を「〇〇みたいな曲ですね」とコメントする人がいる。その「〇〇」って何だよ?知らないよ!そんなの。それは褒めているんですか?けなしているんですか?さっぱり理解できない。
 作曲(やその他創造に関すること)を行っている人誰もが、新しい曲を書いていると思っているはずだ。過去の何かに似ていると言われてうれしい人などいない。
 人はすべて「模倣」から始まり、独自性にたどり着く。以前に聞いた曲の影響を受けないわけには行かない。そもそも、そういう曲を好きになったから、そういう曲を書いてみたいと筆をとったはずだ。その時点で模倣は避けられない。
 まあ、大枠でなら構わないと思う。例えば、「バロックぽいよね」とか、「古典形式ですね」「これはジャズ風ですね」などというのは、全然気にならない。それを「〇〇の曲みたい」というのは、大変失礼だと思う。それなら、その「〇〇の曲を聞かせてくれよ!そんなの知らないから」これが自分のことに置き換えると分かりやすい。

 例えば、「あなたの仕事は、〇〇さんの仕事のようだね」と言われて、あなたはうれしいだろうか?それが、尊敬する先輩や上司で、教わったように行った結果なら良いが、全く知らない人と同じと言われて、あなたはどう思うか?
 例えば、「あなたのラケットの振り方のフォームは○○さんと同じだね」と言われて、あなたはうれしいだろうか?それが、尊敬する師匠であり、意図して真似ていたのなら、うれしいのかもしれない。でも真似てもいない知らない人同じだと言われて、自分の個性や尊厳を踏みにじられた気がしないだろうか?
 例えば、「シンジって、〇〇さんみたいだよね」と言われて、あなたはうれしいだろうか?それが、例えあなたの尊敬する人であっても、あなたの個性はもはや無いに等しい。あなたはそれを受け入れるだろうか?

 ○○「みたい」と思いたい人は勝手に思えば良いだろう。しかし、それを口に出す。文章に残す人は、かなりデリカシーに欠けた、想像力のない人だと思う。自分というものを持っていなく、部分的に多くの他人を隠れ蓑に、自分を捨てて生きている人だということだ。そんな影のような人間は、私は嫌いだね。
 意見は食い違っても良いし、共感できないことも多々あるだろう。好き嫌いもあるだろう。しかし、自分ってものを持っていなく、他人を部分的なコピーとしか見ていない人は嫌いだね。その人の意見なんて全てコピペってことだからね。薄っぺらいわけですよ。「みたい」って言葉は、あまり使わない方が良いと思いますよ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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