「取捨選択」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
現代社会は情報過多です。そんな中で、必要な情報と不要な情報を取捨選択していかなければなりません。その選択によって、自分の未来は決定付けられてしまいます。では、どのような取捨選択をすべきなのでしょうか?
まず、好き嫌いという感情での取捨選択はしてしまいがちです。これはあまり良くない方法です。なぜなら、情報に偏りが出るからです。
では次に、片っ端から情報を得るようにしようとする人を考えてみましょう。その場合、網羅主義になってしまい、情報処理が追いつかず、まず時間が不足しますし、脳もパンクしてしまいます。いつか使うかもしれない情報というのは、一生使わない情報なのです。不要な情報を得るのに時間を使うというのは、愚の骨頂です。
では、自分で選んだその情報が信用できるか否か?を考えてみましょう。その判断をするのは自分以外にありません。その判断基準をどう育てるか?取捨選択の仕方は、次のようにしています。
常にものごとの「定義」について考え、それを人と話す。人に話すには伝えるために、自分の頭の中で整理がされる。もしくは、気になるワードが出てきて、「定義」付けをしたくなることがある。人と話すことは、非常に刺激になる。
言葉で定義した後、それを明文化する訓練を行う。明文化することで腹落ちし、記憶に留まるようになる。そうすることで、自分の物になる。
一度自分の物になってしまえば、入ってきた情報と比べて、成否を判断できるようになる。もしくは新たな情報により、自分の定義を変えるきっかけにもなる。
そしてこれが結構大事ですが、自分の意見とは異なる内容を、わざと集めるのです。情報が過多ということは、放っておけば人は自分に都合の良い情報だけを集めてしまいます。それを逆に、自分とは意見がまったく違う人の意見を必死に読み、理解しようとすることで、やはり自分の意見は曲げられない。と思うか、なるほどそういう側面もあるのか。と思うこともあるのです。それができない人は、勝手に自分の正義を主張するだけの人になり、意見の合わない人も排除して、いつの間にか情報の波にのまれて、泳ぎ切ることが出来なくなるのです。反対意見こそが、自分を育ててくれるのです。
その状況から自分が出した結論こそ、自分にとって最も信用のおける情報と決断になるということです。取捨選択とは、好き勝手に選ぶことではなく、自分を否定しながら、自分の考えを固めることだと思います。この意見に対する反論も、喜んで受け付けます。ありがとうございます。そこに絶対を持ち込んだ場合、宗教的な狂信の始まりです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ