「教養」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 今の世では、「教養」は大事だと誰でも思う。しかし、それは学歴とはまた違うと思う。学校の勉強ができても、教養がない者はいるし、逆に教養があるのに、学歴が低い者もいる。では、教養とは一体何であろうか?

 教養とは、物事を主体的に考え、自分なりの答えを持つことだと思う。他人の言葉や書物を信じ、自分なりに咀嚼(ソシャク)しない者は、教養は身に着かない。要するに、学校の勉強のように、記憶力中心の勉強では、得られないことだと思っている。
 当然、多くの知識を記憶していることは有利になる。しかし、その知識をそのまま利用していては、教養とは言えず、単なる知識でしかない。検索して出てきた答えと変わらないのである。
 シェークスピアの言葉に「借り物の言葉でも、自分で繕ってあげれば、結構着られたものになる」というのがあるように、借りたままの知識は、教養にはならないのだ。
 書物で読んだ美しい言葉、人から聞いた良い言葉。善い行い。それらについて、自分なりに考え、そして行動に移してアウトプットする。そうして初めて、借り物の言葉が、自分の言葉になるのである。私はそれを「教養」と呼ぶと思う。

 例えば、経営の本を読み、なんとなく理解した内容を、実行してもみないで、他人に話したら、単なる知ったかぶりになってしまう。そういう知識のひけらかしは、「教養」とは言わないし、すぐにバレるものだ。
 実際に実行し、苦しんで悩んでやり直した経験がなければ、その言葉に重みがないのと同じで、自分なりに繕ってあげなければ、自分の言葉になることはないのだ。

 たとえ間違えていたって良いのだ。最適じゃなくても良いのだ。もっと良い方法があったかもしれないが、いま自分が最良と思える考えを、きちんと「なぜならば」を付け加えて話すことが出来れば、それは「教養」のある言葉だと思う。だから、「教養」のある人とは、自分なりの言葉で語れる者のことを言うと思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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