「狂気」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。今日で928日目です。
精神異常の者は意外と多いそうだ。きっと自分で認識していないから、私が異常である可能性も捨てきれない。では、人はどんな時に「狂気」に走るのだろうか?
ある女性が、子供を産みたいと思っていた。しかし、結婚すらしていない彼女が懐妊することはなかった。それでも、強く望んでいた彼女は、ついに狂気に取りつかれ、自分は〇〇侯爵夫人だと言い出し、子供が4人いると言い出したのだ。彼女の狂気は全くの無害であり、精神病院に入れる必要もないので、そのまま放置された。だって、彼女はとても幸せそうだったのだから、その狂気を取り除く必要など全くないのだ。
ある男性が、女性を好きになった。しかし、彼女には夫も子供もいた。しかし、諦めきれない男性は、毎日その女性に連絡をして、迷惑をかけていた。いわゆるストーカー的な行為になっていた。
段々狂気の度合いが増していき、その男性は自分しかその女性を愛せないし、その女性もそれを待っている。いまいる夫に囚われの身になっていると思い込むようになって、ついにその女性の夫を刺し殺してしまった。その場で逮捕された男だが、狂気から覚めることはなく、拘置所でも反省の色は見えず、自分が良いことをしたと思い込んでいた。精神鑑定では責任能力がないとされたが、その女性や子供、遺族からの強い要請で裁判所は実刑判決となった。実に恐ろしい「狂気」になることもある。
人は満たされない思いが強くなると、それを補うかのように「狂気」に走る。それが満たされ、自己重要感(D・カーネギー著)を得ようとするものなのだ。
誰にでも、少なからずある自己重要感。自分は重要な人物であり、いなくてはならない人物だ。それを認めて欲しいと思う。認めてくれる者がいなければ、自分の「狂気」が、それを捏造する。
よい狂気も悪い狂気もあるので、すべてを否定はできないが、狂気に走る前によく考えてみて欲しい。SNSへの投稿で「いいね」をもらい、自己重要感(承認欲求)を満たすことも、友達を多く作り、その人達相手に話をして、自己重要感を得る方法もあるのだ。例えそれが表面上のおべっかであっても。
人は多くの人と関わって、自己重要感を得なければ、「狂気」に囚われるのだ。自分の小さな世界に閉じこもらず、より多くの人と出会うべきだ。一緒に楽しみ、時には傷ついても良いのだ。「狂気」に走るよりはマシなのだ。自分一人の世界に閉じこもるから「狂気」に囚われるのだ。もっと外へ出て、行動すべきである。私はそう思う。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ