「無関心」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 私達は、普段多くのことに「無関心」ではないでしょうか?道行く人が落としたハンカチを、拾ってあげましたか?「まあいっか。見なかったことにしよう」と「無関心」になっていませんか?他人が捨てたゴミを、「自分には関係ないよね。だって、他人が捨てたゴミなんて何で拾わなきゃいけないの?」と「無関心」に無視してはいないでしょうか?
 政治にも「無関心」で、選挙にすらいかない。会社の業績にすら「無関心」で、会社の発表している決算書を見もしないし、見方も知ろうとしない、「無関心」のくせに、会社が突然倒産すると、大騒ぎをする。証券会社の倒産に社員が騒いでいるのは滑稽だ。このような人から投資を勧められて、信用など出来ない。IR情報を見ていれば、倒産の予兆くらい予測できるものです。自分の会社なんだから。すべては「無関心」がいけないのです。

 愛の対局は憎しみではない。「無関心」だ。平和の対局は戦争ではない。「無関心」だ。誰だか忘れたけど、アウシュビッツで生き残った作家さんの言葉の一部だ。
 最もひどいイジメは、「無関心」ではないだろうか?皆に存在自体を否定されて無視される悲しさ。学校でも職場でも同様だ。
 昔から最もひどい仕打ちに、「村八分」がある。それでさえ、冠婚葬祭などの2割の村の行事だけは無視せずに、出席させる。というもので、100%の「無関心」じゃなかったのだから、完全なる「無関心」ほど、人に与える影響が大きいものはないのである。

 自宅に帰って、子供が「ねえ、ねえ、聴いてよ」と言っている話を、体ごと向けて関心を持って聞いていますか?うわの空で「無関心」に相槌を打っていませんか?そのうち、子供はあなたのことを信用しなくなり、相談どころか、話もしなくなる。思春期や反抗期と思う前に、原因があなたの「無関心」にないのか?考えてみて下さい。配偶者に対しても同様ですよね。

 部下から相談をされたとき、話を振られたときに、嫌な顔をしていないだろうか?「自分で判断しろよ」と、心の中で思っていないだろうか?どんなに忙しくても、きちんと向き合って話を聞いているだろうか?そこにわずかでも「無関心」があったら、信頼関係は築けない。そして、いきなり部下は会社を辞めるのだ。それは「無関心」だったあなたに原因があると思う。思い返してみて下さい。

 ペットだって、飼い主が「無関心」になると、死んでしまうのです。生きていくうえで、相手に「無関心」であるということほど、罪深いことはないと思います。多くを求めることはしません。自分の半径3mの人たちに、もっと関心を持ちましょう。それが、自分が関心を持ってもらえる、唯一の方法です。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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