「プライド」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 あなたにはプライドがありますか?これだけは譲れない、こだわりのようなものでしょうか?侮辱されたくない部分とも言えますね。私は、このプライドという言葉が嫌いです。人が幸せに生きるためには、なるべく捨てるべきものと思っています。
 私は、人が持つべき矜持(キョウジ)は、「誇り」であると思っています。自分の言動の「心の軸」となるのは、自分がここに「誇り」を持っているからだ。それが、人を成長させ、大きくしていくのだと思っている。
 家族を守ることを「誇り」にするのもよし。お客様第一の仕事を「誇り」とするのもよい。自分の信ずる宗教を「誇り」にするのも良い。大事なのは、自分の「プライド」を捨て、「誇り」を優先させることだと思っている。
 家族を守ることが自分の「誇り」だと言いながら、自分のプライドを捨てられず、上司に皆の前で叱責されるのを、恥ずかしいと思う。
 お客様第一と言いながら、自分のプライドを捨てられず、ノルマ達成のために自社都合の提案をする。
 宗教を「誇り」にしていながら、自分のプライドを捨てられず、その宗教を理解できない者をそしり、自分の活動にのめり込む。どれも哀れな人間の、よくあるパターンだと思う。下記は私の読んだ話で、とても好きな内容です。

 東京駅の新幹線清掃スタッフは一人一両の清掃をわずか7分で行う。どんなに汚れていても、不測の事態が起こっても、運航を妨げないよう、必ず7分で終える。その手際の良さと、一部の隙もない所作に、来日観光客は口を開けて呆然と見守る。時には拍手喝采もあるそうだ。
 ある60歳を過ぎた女性が、その清掃会社にパートで入社したそうだ。いわゆるお掃除おばさんだ。学もなければ、職歴もない、子育ての終わった専業主婦に出来る仕事はそれしかないと思って応募したそうだ。当然あまり誇れる仕事じゃない。子供からも「おかさん、そんな仕事しかないの?」と言われ、恥ずかしくて友人にも仕事のことは話さなかったそうだ。プライドの高い夫には「親戚にばれないようにしろ」などと言われた。
 しかし、あるとき新幹線の乗客として乗ってきた夫の弟夫婦に見つかってしまったそうだ。しかし、そのとき弟夫婦は「おねえさん、パートしてるって聞いていたけど、ここで働いていたんだ!こんなにテキパキと動いていて、すごく素敵だった!」と言われ、その女性は自信を得て、正社員になることを決意した。
 その時の面接で彼女はこう言ったそうです。「私はパートでこの会社に入る時に、お金さえもらえればと思い、プライドを捨てました。でも、この会社に入って「誇り」を得られたのです。これからも、この誇りを大事に仕事させて頂きたい」面接をした役員は笑顔でうなずいたそうです。

 当然、プライドも矜持も誇りも辞書で調べれば、どれも同じ言葉だ。だが、その定義は人それぞれだろう。(前述の話では一貫してプライドという言葉を使用していたが、私が勝手に誇りに変えて書き直しています)プライドという言葉を否定するのが目的ではなく、自分の矜持を見つめ直す大切さを、思い返して頂けたらと思う。みなさんは「誇り」を大切に生きていますか?

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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