「天国と地獄」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 天国と地獄という考え方は、不思議と複数の宗教で共通して存在する。詳細はだいぶ違うが、大雑把にすると、天国は死後の心安らかな世界で、地獄は死後に苦しむべき世界というところは同じだ。
 ある仏教の天国と地獄の絵図を元にすると、それほど天国と地獄に違いはない。食事になると、同じように大きな釜にいっぱいのうどんが出される。皆それを食べるのだが、天国も地獄も同じように、1メートルもある長い箸で食べなければならないルールなのだ。
 地獄ではようやくすくい上げたうどんを、自分の口に運ぶことが出来ずに、落としてしまう。もしくは、すくい上げようとしている自分の箸を、他の人が邪魔をして全然食べられない。気づいたら食事の時間は終り、全て片付けられてしまうので、地獄の人達はいつも空腹なのだ。
 ところが、天国では1メートルの箸をうまく利用して、自分ではうどんを食べずに、遠くの人にうどんをすくって、食べさせてあげているのだ。「どうぞお食べ下さい」そうするとまた違う人が自分に向けてうどんをすくってくれるのだ。「どうぞお食べ下さい」と。そうやって譲り合って、分け合って食べているのが天国の絵図だ。天国と地獄の違いはそれだけのことだという。

 つまり、現世においても同じことだと思う。奪い合うから、足らなくなるのであって、分け合えば、共存共栄が可能だってことだ。ところが、それがなかなか出来ない。それが現実であろう。競合会社と足を引っ張りあって、あげくに価格競争をして疲弊していく。
 競合メーカーを協力メーカーに変えて、お互いの負荷を平らに出来れば、仕事がない時に分け合えば、共存共栄が出来るのに。そう考えないことで、多くの機会を損失しているってことに気づいていない。戦うべき相手を、見誤っていないだろうか?だからこそ、地獄絵図になってしまうのではないか?私はそう思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

いいなと思ったら応援しよう!