「三流の輝き」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
私の会社は傍から見れば三流です。しかし、そこで働いている人も同じように三流でしょうか?昭和生まれの私たちは子供の頃によく言われました。「一流の大学を出て、一流の会社に入ることが幸せなんだ」と。最近は言いませんかね?当時親の想定は、一流企業=一部上場企業だったと思います。では、一流とは上場すればいいのでしょうか?二部上場は二流なのでしょうか?一流とはどういう人や団体を定義するのか?考えてみたいと思います。
「一流」を辞書で引くと、「第1等の位」などと書いてある。単純に「一流であるということは、その道で最も抜きん出た存在である」ということであろう。日本には272万5,000社もの会社があるが、一部上場企業はその中の5%以下だとか。確かにそう考えれば、一部上場企業が一流企業と考えるのは甚だ間違いとは言えない。しかし、冒頭で述べたように、三流企業で働く人たちも三流なのか?私には確信が持てないのです。
私は趣味でピアノとヴァイオリンを演奏します。ピアノはたったの2年しか習いませんでしたが、ヴァイオリンは8年も習いました。しかし、正直私のヴァイオリン演奏は人に聞かせられるようなものではありません。ピアノであれば、多少は聞けたものと勝手に思っています。趣味の場合、ある程度自分が楽しいと思って、自己満足出来る範囲で出来れば、辛い練習などしなくても問題ないでしょう。当然、一流になろうとは誰も思わないでしょう。
それでは、プロのヴァイオリニストとは何が違うのでしょうか?プロの中でも超一流と思える人と、二流のプロからレッスンプロなど様々います。それを分かつものは、「才能」という人が多いかと思いますが、これは大きな間違いです。人は基本的に同じ体の構造をもって生まれ、その体に合わせたわけではない楽器を使用しています。指の長さや、腕の長さなど生まれつきの差はありますが、一流と三流を分け隔てる決定的なものとはならないことは歴史が証明しています。それでは、何が一流と三流を分け隔てるのであろうか?それはズバリ「努力」です。
何だ努力か。と思われる事でしょう。しかし、ある統計家の調べによると、ヴァイオリン奏者を目指す子で、18歳までにどれだけの練習をしたのかを調査した結果、明らかにその後の一流と三流を分け隔てる結果が出たそうです。一流になった人達は8,000時間の練習をしましたが、二流の人達は5,000時間だったそうです。そして、三流の人達は3,000時間の練習でした。当然、練習にはその中身も必要です。一流の人達は、自分の苦手な事、自分に不足している部分を1日も休むことなく、徹底的に練習していました。ところが、三流の人達は、自分が出来る部分を繰り返し、気持ちよく弾いて楽しんでいただけでした。しかも、休みの日を設けていました。
ビジネスに於いても同じ事が言えます。徹底的にやろうとする人と、出来ない事を他人のせいにして、自己正当化をして逃げる人と、いい加減に終わらせてしまう人と差が出るのは当たり前です。しかし、それそのものは悪い事ではありません。自分が三流であり、出来ない事を理解し、昨日の三流よりも今日の三流の方がわずかでも二流に近づいているという意識を持てるか否か。これが最も重要な事だと私は思います。自分に負けず、あと1mmの努力、粘りがあるのかどうかです。
誰でもイチローのようになりたいと思ってもなれるものではありませんよね。だって、あなたはあなたなのですから。あなたの存在(アイディンティティー)を自分で否定しても仕方ありません。自分の存在「自己実現」とはどこにあるのか?それを分かるまでは、人は一流にはなれないのではなかろうかと、私には思えます。
しかし、自分の存在を感じる為に努力を続けるという事は、非常に苦しく又、恐ろしい事である為、ほとんどの人が出来ないのです。なぜなら、努力をした結果、成果が出なかった時、人は自分の存在も消えてしまうような恐怖と不安を感じるからです。最大限の努力の結果を見ることを怖がり、言い訳を見つけてベストが出せなかった言い訳、成果が出なかった言い訳をしたくなるのです。
人は、何かが上手くいくと、そこに自分の存在を感じる。仕事で褒められれば、そこに自分の居場所があると分かり、安心をして自信がつく。そして、仕事が楽しくなるのです。しかし、人からけなされたり、怒られたりする事で自信を失い、自己の存在が薄れて行くのです。しかし、今日の三流よりも、1mmだけでも前進した明日の三流を目指すのであれば、出来なかった事を克服して、自信を得て自分の存在を確かめる事が出来ます。いきなり大物になろうとするから、出来ない自分と向き合わなければならなくなるのです。毎日小さな一歩を進めることが、将来の大きな自分に近づく、唯一の方法です。
自分の前に立ちはだかっている障害があればそれを克服して、少しずつ前に進む気持ちがなければ、人は自己の闇にのまれてしまう。そうならない為には、今日よりも1mm前進した明日。明日よりも1mm前進した明後日を目指して、努力の出来る人。それが、私には「三流の輝き」だと思えるのです。輝いていれば、一流であれ三流であれ、同じ輝きだと私は信じています。三流の会社でも、三流なりの輝きを放てるかどうかは、私達一人一人の気持ち次第です。「三流の輝き」を目指して1mm前進した明日を、一緒に目指しましょう。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ