「探検」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
先週に引き続き、幼少期の内容を書いてみようと思う。少々長くなるが、お付き合いください。もはやその山も川も沼も無くなってしまったが、私の心には一生残り続けるものだ。
この探検記は、私が友人と一緒に小川の湧水を見つけに行った旅の記録である。カエルの沼で紹介したように、この川の始まりはあの沼である。正確に言うと沼から10m程上流にポコポコと地下から水が湧き出ており、それがすぐに下流へ流れている。そして、その川は更に大きくなって、隣家の裏を通っている。
しかし、最初の沼の湧水ではどう考えても水量が足りないのである。それを突き止めるには、川をさかのぼるしか方法がない。これは誰もした事の無い冒険であった。学校の友達も、兄達も、大人達でさえ、誰に聞いても知らないことだった。
川は沼の先から山道とは離れてしまい、その後民家の近くで太くなってあらわれているのである。その先をだれも知らないという事が、私達を非常に興奮させた。そこで私は学校の友人2人と探検する事にしたのである。小学校の3年生頃のことだったように思う。
私達は自分で握った大きめのオニギリを背負って、懐中電灯と木の棒で作った杖を持って出かけた。その日は非常に良く晴れており、暑過ぎずトウモロコシの芽がまだ出たばかりの初夏の頃であった。
私達は水に入って行軍が邪魔されないようになるべく陸の道を行く事にした。上流に向かって小川の左側が土の断崖絶壁になり、木が小川に覆いかぶさってきて右側が行軍不可能な細い竹藪になったところで、私達は小川を登る事にした。小川はこのあたりでも水の深さはひざ位まではあったので、簡単ではなかった。
森は深さを増し、日曜の午前中にも関わらず、日の光があまりさしてこず、かなり薄暗い中での行軍は非常に心細く、団地に住む友人を恐れさせたものである。こういう時は、余計なことは考えず、好奇心をむき出しにした方が上手く行くのだ。
川は大きな岩を左の山側から大きく半周以上も回って大きく蛇行していた。その岩は苔むして緑色をしており、こんな小川に自分の体より大きな岩があることに驚いた。その岩と山から倒れて来た木が橋のようにかかっており、その自然の作りだした見事な造形の橋の下をくぐっていくのには、非常な興奮を覚えた。
しかし、橋を通過した後右の竹藪の土手側を見た時に更に大きな恐怖が私をとらえた。良く見なければ分からないが、土手のあちこちに私の握りコブシ程の大きな穴が無数に開いていたのである。その中には見たこともない大きなムカデが丸まっていたのである。
私は友人達に触らないよう注意を促して、そのまま水の中を歩いて行った。私の後ろを歩く二人は恐怖からか、私にしがみついていた。
少し進むと、そこにはきれいな小石の河原があったのである。そこだけ木の切れ目からちょうどスポットライトが当たるように日の光が当たっているのが、私達をホットさせた。日の光がこれ程ありがたいものなのだと思えたのは初めての事であった。それくらい、周りは暗かったのである。
私達はその河原で少し休憩をする事にした。河原と言っても子供が二人体育座りをするのがやっとの小さなものである。水はきれいでそのまま飲む事が出来た。私達はここで握り飯を食べて、小川の水を飲んで喉を潤した。
明らかに今まで人が訪れた形跡は全くなかった。秘境に足を踏み入れたような興奮が、再び私を満たして行った。
私はすくって飲んだ小川の中に沈んでいる枯れ木を不審になって見た。私はその枯れ木を持ち上げた。すると、黒い生き物が動き出した。枯れ木につかまっていたのを保護色で隠していたのだ。泳ぎ出した姿を見て私は納得した。急にものすごく鮮やかなダイダイ色が見えたからである。それはまるで、この自然の中にそぐわない人工的な色に感じ、ものすごく毒々しい色に見えた事を覚えている。
私がそれを手で捕まえた。それはイモリであった。イモリの腹はきれいなダイダイ色だが、背中は黒い保護色になっているのだ。どうやら、私達はイモリと同じ水を飲んでしまったらしい。私はイモリを下流に投げ込んで戻してあげた。
休憩の後少し進むと、何と小川は2つに分かれていた。この様な事は予想していなかっただけに私は口をあんぐり開けて、しばらく呆けていた。かなり上流へ来たはずなのにかなりの水量があった事がうなずけた。方角的には左の小川がカエルの沼へ出られると思ったし、かなりの水量の音がする。だから、私達は、先に右側の小川を探検する事にした。
小川の分岐点は高い山肌に木が生えた森によって分断されていた。左側は轟々と水が流れてきており、小さな滝の様な音さえ聞こえる。右側はチョロチョロと流れる程度であった。右側はその森を周って大きくカーブしており、その先が見えない。左側も右側と反対回りに森を周ってカーブしている為、その先が見えないのは同じであった。
私達が先に探検した右側の小川は水量が少なく、段々沼のように泥が足に付き出した。足は重くなり、長靴を引き抜くことさえ難しくなり、とうとう私達は進む事も、戻る事も出来なくなってしまった。
勇み行軍してきた私は、サーっと血の気が引いた。もしかして、底無し沼だったら?そう思うと、急いで引き返したいのだが、足が抜けない。まるで、足を見えない腕で捕まれているかの様である。友人達も私の後ろで身動きが出来なくなり、もがいていた。
私は長靴の中から足を抜き、手で長靴を抜き取った。そうやって両足とも素足になると、戻ることが出来た。このまま進むのは危険だ。
私達は一度水のあるところまで後退し、足を洗うと、山肌を登ることにした。泥の中を通らなければならない規則なんてないのだ。かなり険しい山肌なので、木につかまっていないと落ちてしまいそうな勢いだ。私一人で行くことにした。山肌を登り横に斜めに移動すると、やはり右の道はすぐに行き止まっており、チョロチョロと水が湧いているところで止まっていたのを確認して、私は友人のもとに戻った。
私達は気を取り直して、左の小川へ行った。こちらは水量があり、石がゴロゴロとしており、小さなハヤが泳いでいた。どう見ても、こちらが小川の本流である。
左は山、右は粘土質の断崖絶壁と深い谷になっていた。私達が少し深めの淀みを越えると、右側の断崖から、こぶし大程の穴が開き、滝のように水が轟々と落下していた。高さは私の腰ほどしかないが、水量は激しく、私達は美味い水をたらふく飲んだ。そこは小さな滝壺になっており、水深は私の膝ぐらいまであった。
ここまで来るのに時間がかかり過ぎ、山の夕暮れが加速する前に目的を達したかった私達は、この滝壺で生き物を探したりして時間をつぶさず、先に進むことにした。
その湧水の滝を過ぎると、小川は緩やかに左に折れて、広場に出た。そこには予想すらしなかった光景があった。そこには小さな池とも思える程水を蓄えた、この小川にして最大の滝と滝壺が出来ていたのである。両側は粘土質の壁になり、長い年月をかけてやわらかい粘土を水が削ってきた見事な自然の造作であった。
この滝は先程に比べれば水量は少なく、迫力は無いがチョロチョロと流れ出る小川の上流ははるか私の頭上よりも上なのである。その先を見る事が出来ない程に高低差がある滝がこの小川に存在しようとは、本当に予想すらしていなかった。
私達は、行く手を阻んでいる粘土の断崖絶壁を見上げて、しばし呆然としていた。この滝を越えなければ、私達の目的は達成されない。ここで逃げ帰るのか?つるつる滑るこの粘土をどうやって登っていくべきか私には皆目見当もつかなかった。
滝壺は私が入っていくと、腰ぐらいの深さまで水があった。水は澄んで中は良く見えたが、生き物はいるようには見えなかった。
なるべく濡れていない滝の横側を這うようにして登っていくと、意外と滑ることなく登ることが出来た。しかし、私の後の二人は私の体が粘土を濡らしてしまったため、後になればなるほど、登れなくなり、3人が登るのにはかなり苦労した。
しかし、苦労して登った甲斐はあった。私が顔を上げた時、そこには想像すらしなかった見事な光景が広がっていたのである。自然の美しさとは何と人の心を虜にするものであろうか。私は、言葉に出来ない感動で足の先から頭のテッペンまで鳥肌が立ち、体が震えるのが分かった。
水量の減った小川は、カエルの沼を無数の小川に変化させていたのである。何十もの小さな流れが重なって、この滝の手前で一つに束ねられて滝を落下していたのである。
日が傾き出した光を浴びて、キラキラと光りながら流れて来る清流は、ダイヤモンドの川のようであった。
それがこの小川の正体であった。最上流の地面からポコポコ湧いて出る場所の他に、沼の底になっていた部分からもポコポコと水が湧き出て、数か所から小川を形成していた。そして、横の山からしみ出た湧水は粘土に穴をあけ、小さな滝となって滝壺へ集められた水が小川となっていたのであった。
おそらく地下には無数の水路が張り巡らされているのであろう。雨の後など水量が増えた時、ここは沼となるのだろう。山道を通ってこの沼まで来ると、水が多いか少ないかそれしか気にもしていなかった。それに、この小川がこれ程美しく、神秘的な物であったとは。小川に向き合う事無く、横から眺めている限り、本当の姿は見えないのであろう。
今は、水量の少ない時であったが、下流ではそれ程水量が大きく変化した覚えは無い。私達が上った滝壺の粘土の壁には、確かに私達の頭よりも高い位置にかつて水のあった地層の線があった。
下流の民家に増水した水が流れ込まないのは、この様な天然の滝壺があるおかげなのだという事を、その当時の私には理解できるはずもなかったのだが。
山道を通って迂回してこられる沼を、川をさかのぼって、逆から見た光景は、いままでに見たことのない景色だった。同じものでも見方を変えると、その価値は変化するのだ。私は自然の中からそれを教えて頂いたように思う。あの輝いていたダイヤモンドのような川は、一生私の心から消えない記憶だ。そして、誰にも奪われない宝物だ。小学生の私達にとっては、とても素敵な「探検」だったのだ。
当然、頭から足まで泥だらけで帰ってきた私を、いつものように母が呆れて叱ったことは言うまでもない。外の井戸水で体を洗って家に入ったのだろう。それもいつものことだ。夏休み最終日にお届けする。遠い夏の記憶だ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ