「不労者」

第1,228回
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 タイトル的に「浮浪者」と思われた方が多いと思う。先日、会社の最寄り駅で始発電車を降りたとき、その浮浪者に出会った。その者は、私に近づいてきて、物乞いをしたのだ。
 「生活に困ってます。恵んでください」そう言った。私はそのまま見えなかった、聞こえなかった振りをしてスルーをした。
 また、こういう人の特徴として、服装や髪形、態度は仕方ないとしても、しゃべり方がダメだ。はっきりとしゃべることなく、もごもごと小さな声で言っており、何が言いたいのか?わからない。最初は酔っ払いかと思ったものだ。

 資本主義の世において、どれ程生活に困っても、方法は2つある。特に障害などもなく、五体満足であれば、まずは働くことだ。仕事を選ばなければ、仕事は必ずあるのだ。
 そして、その仕事から何を得るかを考えるのだ。なぜ?この仕事は存在しているのか?人間がやる必要があるのだろうか?自分が雇ってもらえている理由は何か?そして、その仕事はこの先何年続きそうなのかを考えることだ。
 そして、その仕事がなくなることを想定し、その仕事の前後の工程を知ることだ。そして、顧客が誰であり、どうやってお金が流れているのかを、よく観察すれば、自分にできることが見えてくるはずだ。お金の流れを知れば、人の流れがわかるし、仕事の流れが理解できるようになる。

 もう一つは、住所不定無職に一度なると、就職も難しいし、アパート契約などもできない。だから、一度NPO団体に助けを乞い、生活保護を受けながら、住所を得るのだ。そのような施設を拠点として、新たな就職活動をして、社会的責任を得るようにすればよい。その後に、前述のようにお金の流れから、社会を理解していけばいいのだ。
 別に学歴などなくてもいいし、職歴も不要だ。特別根性が必要なわけでもないし、資格など不要だ。特別な能力もいらない。ただ、観察してよく考えることだ。考えるとは、仮説を立てることだ。それが肝要だ。

 自分で働こうとしない。人の役に立つ喜びを知らない者が「不労者」なのである。たとえ、サラリーマンをしていても、ただ自分のお金のため、自分の生活のためと視野の狭い理由で仕方なく働いている者は、自分の意志で働く喜びを得ていない者は、仕事をしているとは言えない。だから、その時点で「不労者」なのだ。
 本当の意味で就労していると言える人は、実は少ない。社会的責任や仕事とお金の流れなど、何も考えずに仕事を作業として行っている人は、ほぼ「不労者」なのである。だから、自分の仕事も理解していないし、ビジネスモデルを転換するという発想も出てこないのだ。前例踏襲しかできない時点で、結果は行き詰まる。付加価値を上げることも叶わない。浮浪者と「不労者」に大差はないってことさ!

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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