「集中」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 何ごとも「集中」しろという。勉強や仕事だけでなく、アニメで「全集中」という言葉が流行ったように。では集中とは何であろうか?
 勉強や仕事では、脇目もふらずに集中するというニュアンスを強く感じる。確かに、気が散る他の要因を排除するという意味では、脇目はいけないかもしれない。だが、本当の集中とは、脇目もふらないこと、視野の狭くなったことなのだろうか?
 車を運転するときに、集中しなければ事故を起こす。運転に集中しろというのは、当然のことだ。では、集中すると周りが見えなくなるのだろうか?いや、そうじゃない。むしろ奇跡的な勘が冴えてきて、前の車の更にその先を見て未来を予測し、早めにエンジンブレーキをかけて減速をする。前の車のブレーキランプが点灯するころには、十分な減速ができており、ブレーキを踏まずに速度を合わせられることがある。と同時に、後ろとの距離感も確認している。万が一に横に逃げることができるかも、一瞬にして判断している。これは運転に集中し、視野が狭くなっているのではなく、むしろ視野は広くなっていると思う。
 仕事に集中する場合、いま行っている仕事にのみ集中し、他のことは構わない方が作業効率は上がるだろう。しかし、脳が集中してくると、他にやらなければならないことや、他人への気づかいなど、やった方が良いことに、どんどん気づくようになってくる。一つのことに集中するのではなく、脳が集中することで、色々な気づきが広がる気がする。
 平手で物を押すより、指の先1点に集中した力を込めると、その物体を破壊することが可能だ。物理的な集中は、力の集中でもある。

 人による集中とは、そのものごとに1点に絞るのではなく、触覚・視覚・聴覚・味覚・嗅覚・第六感などを広げ、思考とリンクした時のことを言うのではなかろうか?五感がとらえたものを脳が処理し、思考と同時に拡張された状態を、本当の意味での「集中」というように思う。物ごとに集中しようとしてうまくいかない時は、思考が五感に追いついていない時、もしくは思考が先に進んでいる時なのではなかろうか?人が奇跡的な何かを成すとき、それが「集中」したときなのだと思う。人工的にそれを行うのは、大変に難しい。だからこそ、価値があるのだろうと思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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