電動車について

 今日は1ヵ月ぶりの休日を利用して、我が社の関わる自動車業界、特に我が国の自動車メーカーの情けない無決断ぶりを紹介しようと思う。長文だがお付き合い願いたい。
 4月28日の日経の記事では、自工会(一般社団法人日本自動車工業会)が「2035年までに国内新車を電動車100%にする」目標を掲げた。とても評価できる内容だ。しかし、本文を読み進めると大きな矛盾でその記事は締めくくられている。環境技術・政策委員長の大津氏の言葉だとして、「脱炭素に向けて電動車(EV)へ過度に傾斜するのではなく、ハイブリッド車(HV)などの他の電動車も含めて選択肢を広くすることが必要」と記事が締めくくられている。

 みなさんは電動車の定義をどのように思っておられるでしょうか?単純に電気を利用して駆動させている。という意味では自工会の発表に間違いはない。ですが、何の目的で?というところを考えると、あまりにお粗末な定義だと思う。
 脱炭素をなぜ掲げるのか?世界では、排気ガスによる大気汚染で年間60万人以上が死亡しているという事実がある。日本でも喘息で苦しむ家内のような人が多くいる。そのような循環器系疾病を持つ人のところにコロナやインフルエンザなどの感染症がこれば、それは死を意味する。だからこそ、脱炭素を進め未来の子供たちに、きれいな大気を残すことが、我々大人のやるべき仕事だと思う。その前提を踏まえて電動車の定義を考えた場合、エンジンは即刻廃止をすべきだとの結論が出なければおかしい。
 ハイブリッド車は電動補助があるだけで、1台ずつの自動車が排気ガスを排出することには何ら変わらない。電動車ではなく「電動補助車」である。その時点で私には、自工会が100%電動車と言っていることと矛盾を感じる。自動車メーカーへの参入障壁として「エンジン」を捨てたくない気持ちも分かる。エンジンがなくなれば、排気ガスを出すマフラーや、ギアのトランスミッションを作っている会社は立ち行かなくなる。それも理解はできる。しかし、それは人類のための仕事ではなく、自社の都合を世間に押し付けているだけだ。既得権益を守ろうとしているに過ぎない。言ってしまえば、企業のエゴである!

 産業革命以来、人が使用してきたエンジンはもうとっくに寿命なのである。ドイツのダイムラー氏が自動車の特許を考案し、エンジンの特許を考案したドイツのベンツ氏の会社が合併してできたダイムラー社が販売しているブランドが、メルセデスベンツです。ベンツのエンブレムをご存知でしょうか?円の中に3本の線が均等に入っているエンブレムです。これは、エンジンが「陸」「海」「空」へと飛躍するようにというダイムラー氏の思いが込められているそうです。しかし、一つの技術が永遠であることはありません。そろそろエンジンには幕を下ろすときが来たと思います。そして、世界は電気自動車(EV)の方向に向かっているのに、日本のメーカーは決断が出来ない。本当に情けない経営者が多い。そこには以下のような事情も垣間見られる。
 日本のシェア50%以上を占めるのはトヨタだ。そのトヨタの得意なハイブリッドとは、英語で「Hybrid」と書く。意味は2種類以上の要素を加えて出来たものだ。だが、英語の苦手な昭和の日本人は、ハイという言葉を「Hi」という「高い」という言葉と取り違え、「高い技術」ではないかと勘違いしている人が多くいると感じる。私に言わせれば、Hybridは単なるイノシシとブタを掛け合わせた「イノブタ」でしかない。エンジンが消えてなくなるまでの中間技術。いわゆる過渡期の技術でしかないと、私は思っている。皆さんは、Hybridは決して高い技術でも何でもなく、単なる片方を補助する補機が搭載されているという意味の、「Hy」であることを忘れないで欲しい。一気にエンジンを廃止できないからまずは半分という考えだ。残念ながら、とても褒められた技術ではないということです。
 ところが、トヨタが得意なHybrid技術は世界一の技術だ!という思い込みから、その過渡期の技術を捨てることが出来なくなっている。変化に対応することが出来なくなっているのが、先の自工会の発表(ハイブリッド車などの他の電動車も含めて選択肢を広くする)に表れている。選択肢を広くすれば、開発費もかさみ既存のメーカーが有利になるのは当然だ。アップルなどの参入を姑息(コソク)な手で排除しようとするのは、自由競争の精神に反する。あくまで企業は消費者の利益、人類の利益を追求して存続していかなければならないのだから。
 そんな中、ホンダが燃料電池車(FCV)と電気自動車(EV)だけにして、ハイブリッドを捨てることを表明したのは良いことだと思う。しかし、欧州のメーカーなどのようにEV1本に絞れるメーカーが日本にないことが、私はとても歯がゆい。
 燃料電池車(FCV)は水素を使う。水素はわずか4%の漏れで爆発を起こす、大変危険な元素だ。交通事故の多い自動車に採用する物質ではない。水素燃料は、事故の少ない「航空機」にこそ最適であり、ロケットでは既に実用化済みだ。
 元素としてだけなら、太陽系に最も多く存在する元素は水素なのだ。次にヘリウム、酸素、炭素、ネオンと続く。水素を調達するために、化石燃料を燃やすのでは本末転倒だ。現状、人間がエネルギーとして利用できる状態にするのに、コストがかかり過ぎるのだ。海水から作れる技術を願うばかりだ。水素を上手く利用できるようになれば、1,000年後には宇宙に存在する水素でエネルギー補充をしながら、惑星間航行も可能になるかもしれない。
 当然、EVにも問題はある。空調だ。電気で暖房を行うのは熱効率が極めて悪い。冷房はともかく、暖房を使う場合は、気化ガスボンベなどを別途乗せて、お湯を沸かす方式の暖房が望ましい。つまり空調に関してはハイブリッドということになる。

 最後に、自動車メーカーへの参入障壁について申し上げる。アップルがホンハイ精密と共同でEVを作るかもしれない?その他、他業種からの参入のうわさが後を絶たないが、それは全く構わないし、良いことなのだけれど、現実を見てほしい。
 過去に英ダイソンがEV参入を表明し、撤退している。あまり知られていないが、韓国サムスン(三星)グループも過去に自動車メーカーを目指し、売却撤退している。現在は韓国ルノー・サムスンとして、ルノーの工場になっている。巨大財閥でも難しかったのは、エンジンだけが理由ではない。自動車の生産には、ボディー生産のノウハウ、塗装とさび止めのノウハウ、足回りのシャーシ開発など数多くの技術が使われており、自動車を大工さんのような職人の手作りにすると1台数千万~1億円という途方もない値段になってしまう程、多くの人手とロボットを駆使している。それを数百万円代に出来るということは、産業革命の起こした大量生産技術、ここに極まれりだと思っている。
 私の行っているボディー生産では、すべて金属を使う。鉄やアルミニウムだ。自動車がEVになっても、自動運転になっても、ボディーはなくなることがない。しかも材質から鉄がなくなることも100年以上ないだろう。なぜなら、地球上に存在する物質で強度があって、一番質量が多いのが鉄だからだ。次に酸素、ケイ素、マグネシウム、ニッケルと続く。地球の核はほとんど鉄で出来ているのだ。鉄の塊がマグマを抑えているようなイメージだ。しかも鉄は、採掘後に鉄と酸素を分解しやすく、鉄だけを取り出すことが安易だ。地球上の物質は様々な元素が混ざって、様々な岩を形成している。その多くは燃えた時の影響で酸素と結びつき、酸化しているため、そのままでは使いものにならない。その元素を還元する方法さえ確立すれば、人類は様々なものを手に出来る。昔、使い道の分からなかった原油も、沸点の違いから、灯油、軽油、ガソリン、重油に分けられるまでは、無駄な黒い油でしかなかった。
 だが、鉄に出来ることも、また限られる。奇抜なデザインの自動車では、鉄が伸びる限界を超えれば、鉄は破断する。1枚の鉄板を変形させて出来る範囲は限られる。そこを考えるのが、我々の仕事だ。テスラのモデル3のフェンダーは今までにない丸い形でとても苦労した。その甲斐もあって、とても格好の良いものが出来たと思っている。
 車は自動運転になっても、事故を100%避けることは出来ないと思う。自動運転車のみになれば問題はないが、人や自転車はウインカーもない、急に曲がるので先が読めない。更に交通ルールも守らない。中古車市場がある限り、手動運転車やエンジン車が消えるには、今後数十年はかかるだろう。自動車生産を行うメーカーは、それだけ完成された業種ということだ。そうそう簡単に真似が出来るものではない。アップルとホンハイがソフトと電装部分を作っても、足回りのシャーシ。車体ボディーをどうやって調達するつもりなのか?課題は山積みだ。手っ取り早いのが自動車メーカーではない、カナダ(加)のマグナ・インターナショナルなどに丸投げするのが関の山だろう。そして、テスラのように結局は日本のメーカーに発注され、日本人が設計をして、アメリカで生産するようなことになると想像する。
 日産のリーフを設計した時、バッテリーのケースを設計したことがある。エンジン関係の仕事をしているメーカーは早々撤退をした方が良いと思うが、我々板金関係の仕事はむしろ増えると思っている。だから私は、少なくとも100年、この業界は変わらないと思う。

 それでも、現状維持は危険だ。完成体の変化は100年経ってもないだろうが、プロセスは変わる。設計が製図版による手書きの紙から、2Dキャドにデジタル化され、現在は3D化された。しかし、そのソフトもどんどん変わっていくはずだ。独BMW(ベーェムヴェー)がバーチャル工場を働く作業員まで含めて未来の工場を3D動画で発表し、世界の度肝を抜いたように、工場で働く人の動きもデジタル制御化され出すかもしれない。そのように、製品が生み出されるまでのプロセスは、日々変化していく。我々はそれに適応していかなければならない。結果は同じでも、やり方は変わっていかなければ成長がない。いつまでも同じ技術にしがみつかないよう、気を付けなければならない。10年ごとに変わっていくことを意識しなければ、乗り遅れる。そのためにも、若い新しい水も入れて行かなければならないと思う。水と人は流し続けなければ腐ってしまうのだから。
 自動車メーカーは決断を迫られている。自社の向かう方向性を。傘下の企業が業態を変化するためにも、方向性は早く示さなければならない。現状維持ではいけないことを傘下の企業に示すべきだ。我が社も当然、自社の未来を予測し、決断しなければならない。
 そして、その決断をするのは私だ。全責任を負うのも私だ。だから経営は自由だ。そして面白い。不安に思う未来より、希望の未来に変えていく力は、すべて自分次第ということだ。「決めない」という現状維持は最悪だ。決断は早くなければ意味がない。2021年の残り3分の2も、新たなチャレンジを失敗しながら繰り返そうと思う。楽しい日々が待っていると思うから。

シンジ

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