「自己評価」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人は往々にして自己評価が高いように思う。よく聞く悩みでは「いまの仕事が合っているのか?自分にはもっと活躍できる仕事があるのではないか?」ということを聞く。もちろん、現状の仕事に行き詰まりを感じている場合も考えられる。だが経験上、単純に自己評価が高いことが多い。
 人は最もピークのところを知り得ないために、右往左往する。株価が最も高い時に売りたい。最も安い時に買いたい。自分の給与が最も高くなる会社で働きたい。自分に最も合った配偶者を選びたい。自分の最も輝ける選択肢は何なのか?そんな雲をつかむような悩みを何度も聞いてきた。そのような人達はすべて自己評価がとても高い。
 自己肯定感は大切だけれど、他者と自分を比較して優越感を得るための自己評価など、するに値しないと思う。私よりも学歴が高い友人や上場企業に就職した友人にこの傾向が強く感じる。確かに彼らは、私が遊びに興じている時、惰眠をむさぼっていた時に努力をしていた。その結果他人から見栄えの良い評価が得られる着地地点に届き、私と比べて満足していたのだろう。しかし、私のように大学へも行かず、欧州へフラリと旅に出て紆余曲折人生を送っている者を見ると、自分の選択に自信がなくなるようだ。もっと自由な生き方があったのではないのか?と。
 スポーツに置き換えると分かりやすい。その友人は、子供の頃から素振りを練習し、甲子園に行ってプロ野球選手にまでなったものの、大勢のプロの中の一人で目立たず、いつ契約を切られるか恐れている状況のように見える。また、引退後の予定も決まらぬ、未来の不安を抱えて。
 きっと他人の目から見た自分を自己評価してきたからだと思う。自分の中に強い「個」を持っていない者ほど、他人の目が作り出したレールにしがみつき、「心の軸」が育たないように思う。そのような人物は大きな挫折により、もろくも崩れる。足場の緩い大地に立っているかのように見える。
 強い「個」を育てるには「思考」しかないと思う。時間をかけて、色々なインプットを繰り返し、色々なアウトプットの失敗を経て、自分の脳内から「心」に刻まれていくのだと思う。それは一朝一夕には出来ないことだ。学校でも教えてくれないことだ。なぜなら、自分で手に入れなければ自分の心には響かないのだから。多くの人が、思考を恐れず「心の軸」を得られる世の中が、最も幸せな世ではなかろうか?そうなった場合は、自己評価は最高に上げて頂いて構わないと思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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