「出世」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。今日で925日目です。

 私が子供の頃は、「出世」することは良いことだった。誰もが競争をして、上に行くことを目指していたと思う。それが何になるかも考えずに。
 昔は「立身出世」を目指し、地位が高くなるよう、勉強と努力を欠かさない。という生き方が良しとされた。ところが近年は、自ら「出世」を断るものがいるという。
 出世したことにより、得ることよりも、責任の重さによるプレッシャーや、時間を奪われることを嫌がるそうだ。勉強を続け、日々努力することも、好まれないという。
 お腹いっぱい食べることが簡単に出来て、娯楽が満ち溢れ、楽に生きることに慣れてしまった人は、今後どう生きていくのだろうか?

 出世するとは、責任が重くなることは確かだろう。だが、悪い部分を見ずに、良い部分を見れば、自分が行える裁量権が増えているはずだ。ここまでは、上司に聞くことなく自分の判断で行える。という範囲が確実に広がっているわけだ。だから、責任も伴うというだけで、何も責任だけが増えるわけじゃない。
 また、自分が動かせる人の数も増えるだろう。そうすると、人間関係が面倒になると考えるのではなく、チームが大きくなった。と考えればよい。チームの一員をどのようにマネージメントしていくか?という面白さが増えることになる。当然、問題も増えるだろう。だが、何の問題もない人生で、あなたは自己成長することが出来るのか?昨日の自分よりも、少しでも今日の自分を良くしていかなければ、より良く生きていくことはできない。
 裁量権も増えて、チームも大きくなったのなら、あなたの収入も増えたはずだ。その増えた収入を、自分の実力と思い、自分のために使うから、あなたの出世はそこで頭打ちとなるのだ。そして、「出世前より使えない奴になった」と噂されるようになるのだ。増えたあなたの収入は、チームのみんなの働きによるものだ。きちんとみんなに還元するようにしなければ、誰もあなたについて行かない。出世をすると、出来ることが増え、周りに人が集まり、とても楽しい日々を送れるだろう。

 そのような人間関係や、自分の頭で考えて判断することから逃げて、出世を辞退し、人生から逃げている者。楽をして生きていくことだけを考えている者は、地球に産まれた意味はない。この地球に産まれ、生きていることは、もうとてつもなく奇跡なのだ。その奇跡の瞬間を無駄に扱ったものは、それなりの末路が待っているだろう。個人的には「立身出世」を目指さぬ者は、すなわち、向上心のない者は、生まれた意味もなく、生きている意味もないと思っている。存在価値すらも自分で否定しているようなものだ。
 出世とは言うけれど、それは自分自身の向上心だ。それがなければ、必死に生きなければ、生きている意味なんて何にもないと思うけどね。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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