「道を閉ざす」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 自分の人生の道を閉ざすのは、畢竟(ヒッキョウ)自らの行いだ。誰だって、幸せに生きたいし、良い人生にしたいと思っている。
 家族とも仲良くしたいし、友達も欲しい。誰からもちやほやされたいし、褒めてももらいたい。会社では活躍したいし、格好よくありたいと思う。金はたくさん欲しいし、金回り良く、余裕で奢りたい。健康も欲しいし、筋肉も欲しい。異性からはもてたいし、気にしてもらいたい。そういう欲望が満たされると、果たして幸せになるのだろうか?自分の人生の道が開けるのだろうか?

 自分の人生を開こうと、必死に働いてはいるけれど、全然人生は良くならない。忙しいし、時間もなく、金もない。欲しいものも手に入らず、上手くいかないことばかりである。そういう人はまず、目線を上げて、アゴを上げて下さい。そういう人はたいてい、目線が足元に向かっている。下に何か良いものでも落ちていますか?ゴキブリでもいましたか?視線が下がっている人は、結局自分で「道を閉ざす」のです。
 仕出し弁当を運んでくるおばさん。「はい、エサだよ!」と言わんばかりに、荷物のようにお弁当を置いて行き、空になった入れ物を引き取っていく。一言も定型文以外の会話をせず、こちらの顔すら見ようとしない。そんな人に、良い運が寄ってくるとは思えない。すこし、笑顔を向けるとか、少なくとも目線を上げて、こちらを見るようにしなければ、こちらも単なる「エサ運び」としか思わず、それ以上に関わることはない。そこですでにチャンスを逃しているのだ。

 冒頭のような欲望が悪いとは言わないが、そういう些事(サジ)にこだわってしまう人が多い。そうすると、結局自分の人生の「道を閉ざす」こととなる。なぜなら、その視野には自分しか映っていないからだ。
 人生を心豊かに、道を開いて楽しく幸せに生きるということは、必ず一人ではできないことなのだ。だから、自分以外の誰かに関心を持ち、その人達と笑いあえる何かをつかむことこそ、「道を開く」すべなのだ。
 視野が狭く、他人を見ることなく、自分勝手に生きている人。視線を足元にばかり持って行き、人の目を見て話すことが出来ない者は、畢竟(ヒッキョウ)自分の人生の「道を閉ざす」ことになるのだ。みなさん、気をつけよう!

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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