「覚悟」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 何かを成すには、「覚悟」が必要だ。「覚悟」を持つとは、最悪の事態を想定し、最悪の事態になったとしても、その行動を行うと決断することだ。すなわち、「死の覚悟」を想定するのは当然のことだろう。何を大袈裟な。と思われただろう。それに、それでは失敗が怖くて何事も挑戦することができない。資本主義の世においては、お金さえ払えば、やり直すことはできる。ただし、やり直せると思って、2本目の矢のことを考えていると、必ず1本目の矢では失敗をする。それは「覚悟」とは言わない。

 例えば、会社を創業しようと思ったなら、失敗した時には大金を失うことになるだろう。しかし、資金調達が叶えば再び挑戦することは可能だ。例え、自己破産したとしても、社会的信用はなくなるが、また始めることが出来るので、死ぬほどのことはない。しかし、絶対に失敗しない。失敗したら死ぬのだ。という「覚悟」がなければ、必ず失敗するのだ。これは理屈じゃない。
 例えば、この学校へ受験して入ろうと思ったなら、失敗しても本人が残念に思うだけのことだが、浪人してまた挑戦しようにも、年齢的にいつまでも続くものじゃない。結局は「覚悟」がなければ受かることはないのだ。
 例えば、大きなプロジェクトを任された時、失敗をしたら左遷されるだろうし、多くの人から信頼を失いかねない。だが、サラリーマンとして挑戦した場合、失うのは社内の評価や社内の信頼だけで、結局金を払うのは会社だ。自分の給与で弁償する必要はないのだ。けれども、必ず成功させる「覚悟」がなければ、必ず失敗するのだ。

「覚悟」があれば、下らない自分のプライドを捨てて、誰にでも頭を下げてお願いができるのだ。出来ることは何でも行動できるのだ。最後の瞬間まで諦めることはないのだ。それらはすべて、「覚悟」のなせるわざだ。腹をくくった人間は強い。そして粘り強い。そして達成した時、一皮むけて成長することができるのだ。その姿に、人々は感動するのだ。
 日々、なんとなく生きていても、なんとなく仕事をしていても、なんとなく人と接していても、何も問題ない。普通に生きて行けるだろう。だが、そこに感動はない。快楽はあっても、生きる喜びはない。なぜなら、そこに「覚悟」がないからだ。
 「覚悟を持って生きる」ことは、簡単なようで難しい。出来ない、やらない、向き合わないと逃げ出す。面倒なことはせず、最短距離の小さな努力で何かを得たいと思う者には、「覚悟」がない。
 「覚悟を持って生きる」。それが、人が何かを成すのに、必ず必要となるものなのだと、私は思う。あなたは「覚悟」を持っていますか?

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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