「歯車」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。第1,158回です。
時計などの機械は、「歯車」が噛み合うことによって、動いている。いわゆるギアーだ。噛み合うと、止まることなく動き続ける。というより、動かされ続けるものだ。「歯車」は、機械の3大要素の一つであり、紀元前より使われている。人類の発展には欠かせなかった物だ。
だが、人は「歯車」ではない。一人ひとり個性があり、感情があり、思考がある。それなのに、あなたは「歯車」の一部となってはいないだろうか?
いつも同じ時間の電車に揺られ、駅前から会社のバスに乗せられて会社の工場へ到着する。そして、いつものルーティンワークをくり返す。バスに乗せられている、その他大勢の人と何ら変わらない一つの「歯車」になっていないだろうか?
我が社の近くにも大手電機メーカーやカメラメーカーなどがあり、多くの人が理路整然と並べられて、毎朝仕事に向かうバスに乗せられていく。その姿は、とても楽しそうには見えず、誰一人として談笑している者もなく、能面のように感情を捨てた顔をしている。まるで一つの「歯車」のように。
若かりし頃、派遣で工場の夜勤をしていた。色々な仕事をしたが、基本派遣の仕事は即戦力だ。要するに「歯車」でしかなく、私である必要もなく、私が行う必要もなく、私が行かなければ代わりはいくらでもいるのだ。
時期はバブル真最中だ。仕事は多く、それなりに賃金も良かった。そんな派遣だけで生計を立てている人は多くいた。そんな先輩たちに囲まれ、世の中の仕事なんて、どれもそんなものだと思い込んでいたものだ。「歯車」であることを感じていても、違和感がまったくなかったのだ。私の視野が狭かったという他にない。
手作業で行っていた職人的な作業だが、行う人によって作業個数に差は出るし、商品精度もバラバラだった。正直、こんな仕事は機械に任せれば良いのに?と思ったものだ。やはり、オーストリアから帰国したら、すべて機械の自動化になっており、機械を動かすオペレーターが一人になっており、数十人いた手作業の人達は全員いなくなっていた。別部署に残っていた後輩に聞くと、かなりもめて大量に人が辞めたとか。やはりと思ったのを覚えている。
職業選択の自由は憲法で守られていることだ。しかし、どのような仕事があるのか?という知識を得ていなければ、選択することなど出来ないのだ。
感情のない死んだ目をして働いていては、とても楽しいとは思えない。そういう「歯車」仕事をしていると、期間従業員として臨時で働いている可能性が高い。いつ首を切られても、守られない立場である可能性が高い。代わりはいくらでもいるのだ。そして、将来はAIや機械に仕事を奪われるのだ。当然、低賃金でもある。30年前の夜勤といまの期間従業員の金額はほぼ変わっていない。賃上げの外にいるからだ。
大事なのは、その「歯車」状態から脱する勇気だ。仕事がなくなるより今我慢すべき、という考えを捨てて、もっと長期視点で考えるべきなのだ。自分はどういう状態になりたいのか?どのようになったら幸せなのか?そして、理想と現実のギャップがどのくらいあり、それを阻害していう要素をあぶりだすのだ。そして、それを順序良く一つずつ潰して行けばいい。それが出来ない限りは、いつまで経っても「歯車」人生が変わることはない。
一生に一度でいい、死ぬほど考えて、死ぬほど行動すれば、必ず達成されるだろう。そこには、学歴や職歴、お金など関係ないのですよ。あるのは、長期視点のゴールと、そこに到達しようとする行動力だけなのです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
社長のお金持ちセミナー「シンジ塾」
数字アレルギーのあるあなたに!絶賛開催中!
https://shinjijiku.hp.peraichi.com
シンジ