「人と接する」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人の五感はすべて接触することから得られます。触覚は当然、味覚もそうですね。嗅覚も匂いが鼻孔の細胞に接触して得ることができます。聴覚も、鼓膜を通じて接触により得ることができます。視覚も、網膜に光が接触することにより得ることができます。人の五感とはすべてが接触によって得られているものなのです。それらをすべて断ってしまうと、人は自我が崩壊すると言われています。
 想像してみてください。何も見えない暗闇で、何にも接触していない場所で、何の音もしない場所に、あなたは何分いることができますか?無音とは、自分の吸う呼吸音さえも聞こえないということです。最大限の孤独感と疎外感にさいなまれることでしょう?宇宙空間に投げ出された状態ということです。
 例えば、一人暮らしで風邪をひいたときに、寒い自室で寝ているだけしかできず、雨戸も開けず暗い中で、周りの音もほとんどしない。そんな状況を想像してください。病気での辛さ以上に、一人であることの不安や寂しさを感じた人はいませんでしょうか?このまま一人寂しく死んでいくのかな?などと。特に遠い外国で一人暮らしをすると身にしみます。
 そのように、接触が少なく五感が活かされない時には、人体が生きていることを確認出来ないから気弱になるのです。細胞が喜んでいないからだと思います。体が健康でなければ、心の安寧も得られないのと同様に、心の安寧がなければ、体は健康を維持できません。五感を満足させなければ、人は生きていくことができません。良い匂いのする、おいしい食事をとって、楽しい音楽を聴きながら、家族の顔を見る。友人たちとふざけたり、真面目な議論をしたり。様々なものに接触をするから、脳が刺激を受けて活発に動くのです。ですから、接触をしなければ人は生きていくことができません。それを否定することは、この三次元で生きていくことを否定するようなものです。
 コロナ感染しないよう、人との接触をしないように注意をしていますが、人は何かに接触しないで生きていける生物ではありません。過度な接触も不要ですが、過度な警戒も同様に要らないと思います。
 あなたのマスクは汚れていませんか?口紅の色が透けて見えるような薄い使い捨てマスクでクシャミをして、果たして何パーセントの菌が受け止められますか?マスクという目に見えているものに騙されて、上面(ウワッツラ)の安心を得ていませんか?コロナなどない時でも、人に飛沫を飛ばさないのは、当然のエチケットであるはずです。手洗いうがいは当然の病気予防です。いまになって気にすることの方が、大いに問題があります。フェイスガードを付けているから安心なのではなく、脳みそを使って、自分の健康と他人に気をつかえるか否かが、重要な部分だと思います。
 防弾チョッキを着ていれば、戦場へ行っても死にませんか?防弾チョッキを着ることよりも、弾に当たらないように、重い防弾チョッキを脱いでホフク前進したほうが助かるかもしれません。結構、無茶な理論ですけれど、私はそう思う。以前から気を付けている人が、いまも気を付けているのなら受け入れるが、今になって騒いでいる人は、死ぬのを恐れているか、責任を取りたくないだけの人だと思います。経営をしていれば、いつでも同じだけのリスクはあります。感染症をまき散らすより、恐怖をまき散らす方が大きなリスクだと思います。

 結局、人は何かに接しなければ生きていけません。物理的な接触を避けるようになることで、心の接触も遠ざかってしまう危険を感じます。コミュニケーションは質より量です。下らない雑談すらできなくなると、相手の心を読めなくなります。人は心が読めないと、悪い想像が膨らんでしまうものです。上司と部下、同僚や友人、親子や配偶者との信頼関係にひびが入るのは、圧倒的にコミュニケーションの「量」が不足しているからだと思います。
 ですから、人と接することを恐れないでほしい。対人関係に悩むなら、むしろ人と接することを選択すべきだと思う。失敗したって良い。人から否定されても良い。それでも自分の「心の軸」を見失わないようにならなければならない。それは簡単に出来ることではない。多くの失敗の上に成り立つのだ。あなたがその失敗から何を得るかです。人はそうやって成長するのです。人と接することが出来なくなった人は、結局生きてはいけないのですから。人と接することを恐れないでほしい。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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