「隷属」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。第1,192回です。

 日本人は、とかく人と同じであることを美徳としている。同じ様な服を着て、同じようなものを食べ、同じ車に乗って、同じような時間働いて。同じ様な電車に揺られて通勤している。言い方を変えると、上に決められたことを粛々(シュクシュク)と行うだけの「隷属」(レイゾク)なのだ。しかし、本人たちには「奴隷」である認識はない。そこが日本人の難しさだ。

 奴隷には自由がない。だが、日本人にも限られた自由しかないと思う。自由に選挙に行けるが、半分の人しか行かない。自由に候補者を選べるが、政権交代は稀だ。
 職業選択の自由はあるけれど、一度道を踏み外すと二度とエリートコースには戻れない。職業選択の自由があっても、その職業が楽しいかどうか?試すことも出来ず、知った時には時すでに遅いことの方が多い。
 情報は統制されており、真実を知らない国民が多い。真実を知る自由も奪われているのである。報道の数字が取れないから?というのは単なる詭弁(キベン)でしかない。
 学校では、前例踏襲のロボット型人間になることを求められ、少しでもレールから外れる者を強制しようとする。それでも自由を行使すれば、外れ者としてのけ者にされてしまう。それを恐れて、周りに合わせるという術を子供が学習することは、自由を奪っているに他ならない。
 国民に納税の義務はあるが、税率や税制を決めている与党に「NO!」を突き付けても、財務省がある限り、国による国民からの搾取は変わらない。

 民主主義の世の中は、話し合いで決定されており、自分達で選んだリーダーにより、決議されるはずなのに、私が選んだ人は一度として当選していないし、何も良くはなっていない。この国はすでにレールが敷かれており、国民が変える自由などすでにないのですよ。だからこそ、日本人は奴隷なのです。植民地と何ら変わらない。
 だが、「隷属」していれば、考える必要はないし、指示してくれる支配者に合わせていれば、レールから落とされることも無く、人生を終えられる。だから、無難に目立たないように生きて行けば、特段活躍することも無いけれど、貧困になることも無い。そうやって「隷属」を受け入れてきた結果が、いまの日本だ。
 しかし、これからは無難に普通の生活をして行くことすら、ままならなくなったわけだ。日本国民が目覚め「隷属」の鎖を自らの意志で断ち切らねば、日の昇らぬ国となるだろう。意外と早い段階でね。もうすぐそこまで来ていますよ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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