「調和」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 先日、借りているシェアオフィスでのラウンジトークにて、題名を「調和」として数人で話し合った。色々な意見が面白かった。ここに紹介したい。

 調和という言葉から、人間関係を上手く調整することの様なイメージが強い。出来るだけ調和を目指す、良いものとして話はスタートしたようだ。遅れて参加した私は、「調和」という言葉の持つイメージを周りのバイアスなしに話させて頂いた。
 直前に話されていた方は「調和の反意語は混沌や対立ではないか?」と言っていた。個人的には「調和」×「対立」だと思っている。だが、世の中1色に染められるのは良くないと思っている。それは調和がとれている世界ではなく、画一的な世界だと思っている。同調と調和は異なると思っている。あらゆる意見、主義、主調などを包括した状態で、対立関係があっても、崩れない。それが、調和だと思う。
 他の人が言った。調和とはバランスがとれているもので、良いことと、悪いことの天秤が均衡している状態ではないか?と。
 また他の人が言った。お寺なども完璧に作らず、どこか1ヵ所石を外して完成とする。完璧だと、あとは壊れるだけだと。わずかに足りない状態が、調和のとれた「美」になるのではないか?と。
 作曲をする私は、調和というと「協和音」を連想します。それに、対するのは「不協和音」だ。人は協和音ばかり聞かされると、不愉快に感じるものだ。それに、調査はしていないが、世の中の7割の曲が、曲の最後の音の一つ前は、不協和音になっているはずだ。なぜなら、その不協和音があって初めて、最後の協和音が、曲の終わりを示していることが分かるからだ。調和のとれた音楽は、協和音も不協和音も必要なものなのである。
 それと同時に、調和を乱しているプーチンの話が出ていたが、個人的にはプーチンが調和を作っていると思っている。世の主義や主張が、片方に偏るのは、私は調和とは思っていない。大きな石や、小さな石を積んで石垣を作って、調和がとれていれば、崩れることはない。そこに、良いも悪いも、大きいも小さいもないのだと思っている。
 他の人が上手い例えをしてくれた。ヤジロベーがあって、左右で均衡がとれている時、ヤジロベーは動かない。動かないということは存在価値がないということ。市場は常に変化している。だから、ヤジロベーは右に左に傾いている。上がることもあれば、下がることもある。そうやって調和を保っている。どちらかに振れ幅が大きくなると、調和が乱れて、ヤジロベーは落ちてしまう。だから、調和はプラスもマイナスも、良いことも悪いことも含んでいるのではないか?とのこと。
 また他の人は、太陽系は惑星の引力が調和がとれているから、安定している。月は地球との引力関係が調和しているから、同じ距離にある。大きく俯瞰してみると、すべては些細なことだ。いつでも、私達は調和のとれた世界で生きているってことだ。スケールの大きさがすごい!これは納得だ。
 マクロにとらえるのではなく、量子単位にミクロな視点で見てみるのも、時間軸を考慮するのも面白い。色々な意見が出た。
 また、調和とは「曖昧」なものである。という意見もあった。東洋人と西洋人ははっきりとした違いがあるが、その中洋部分では調和がとれているのに、曖昧だと。確かに、調和とは、ハッキリと色が決まったことではないと思う。
 やはり、個人的にはあらゆることを包括し、それでも、地球は回り続けている。それが、本当の調和なのだと思う。自分の旗色に合わせて、調和が乱れたの、誰が乱したという話しではないのだろう。世界は常に調和を取ろうとしており、画一されることを嫌う。それが自然というものだと思った。音楽は協和音も、不協和音もあるから、美しく感じるのだ。すべては必要なものなのだ。善も悪もない。みなさんは、どう思うだろうか?

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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