「悲劇」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 世の中に悲劇は多い、物語にも多く存在する。「リア王」「ハムレット」「マクベス」「オセロー」シェークスピアの4大悲劇も有名だ。
 そこにはある共通点があると思う。悲劇に見舞われる登場人物は、みな自分のことを不幸だと思っている。運が悪いと思っている。そして、自分に負けて悪い方に流れていくことが悲劇につながる。もしくは、恐れおののいて、決断が出来ずに悲劇へと進む。又は、人を信じるということが出来ずに、結局すべてを失ってしまうという悲劇だ。現実もまた、その通りになることが多い。
 しかし、同じ悲劇の様相を呈していても、それとは反対に喜劇となることもある。なぜなのか?そこにも共通点がある。登場人物が、広い心を持っていることである。
 シェークスピアの「あらし」「ヴェニスの商人」。モーツァルトのオペラ「後宮からの脱走」なども、もう名運尽き果てたところに、人の恩により復活する喜劇だ。どちらにしても、登場人物は周りに流されているようにしか読み取れないかもしれない。しかし、それを現代のことと思って見て見ると、おもむきが変わる。

 私は前職で専務による業務上横領を見つけましたが、内部告発を税務署にばらされて、立場が悪くなりました。刑事告訴も警察がやる気がなくて失敗しました。弁護士費用、探偵費用がかさみ。給与を減らされて、お金も人望も失って、家内に見捨てられ、仕事も失いました。普通なら自殺するか、相手を殺しているでしょうね。本当に運が悪いと思っていました。だって、私が悪いことをしたわけじゃやないですから。運の悪い人に連続して当たったのだと思っていたからです。
 すべてを失って、ようやく気が付いたのです。運が悪かったわけでもなく、できの悪い人に連続して当たったわけでもなかったのでした。世を呪い、「悲劇」の主人公になろうとしていたのは、私自身だったのです。
 ハムレットやリア王は自らの手で悲劇を呼んでしまっていたのでした。私はシェークスピアを読んでいながら、自分のことに落としこめていなかった。時すでに遅く、失ったものは大きいが、それがゆえに気づいたのです。この世にある「悲劇」は、本人が作り出した妄想でしかない。ということを。
 母は、父の愛人と戦うことではなく、自分を悲劇の主人公に仕立ててしまった。そして、父からも愛人からも逃げることで、臭いものにフタをして、死ぬまで解決しないことを選択した。そして、自分を不幸だと思っている。だから、自ら悲劇を生みだしたと言える。

 この世は自分が主人公の劇場です。自分が悲劇を演じるから、悲劇になるのです。自分が幸せな結末を望んで、本気で演じ切れば、幸せな結末が得られるのです。
 「そんなバカな!」と思っている人は、自分で悲劇に向かって行っていることに気づかないのです。そうして、自分の人生を自分の力で歩くことが出来ず、他の人の力に流されて、「悲劇」に突入してしまうのです。
 すべては自分の責任による、自分の決断。その責任はすべて自分にある。それがあって初めて、自分が主人公の劇場が幕を開けるのです。他人の力に流されている人は、結局端役でしかない。そんな人が、「悲劇」を歩むことになるのです。「悲劇」は自らの心が生み出す魔物だ。あなたは、「悲劇」に囚われていませんか?

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

いいなと思ったら応援しよう!