「著作権」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 著作権という知的財産の権利がある。これは、作曲や書物など創作物に対する、創作者の権利のことだ。なんと、死後50年の権利がある。つまり、創作者が亡くなった後も50年間は、権利保持者にお金を払わないと、その作品を楽しむことも出来ない。ということになるようだ。
 ここでは、音楽の著作権に限って話を進めさせていただく。日本の音楽著作権を管理している団体に、JASRAC(ジャスラック)というものがある。そのJASRACは、税金の徴収並みに権利取り立てが厳しいことで有名だ。
 著作権法では、著作権のある曲を個人で演奏したり、個人で聴く場合には著作権料は発生しない。その曲の楽譜を購入した場合や、配信やCDなどのメディアを購入したことにより、既にその権利代金は支払われたことになるからだ。その購入した物を利用して、営利を得てはいけないことになっている。それは当然だ。
 だが、ここに問題がある。ピアノの発表会などで、生徒が最近の曲を弾きたいと思い、その楽譜を購入し、その曲をピアノ講師に教えてくれるように頼むということは、良くあることだ。ところが、JASRACによると、それはピアノ講師が著作権のある作品で、生徒から授業料を取ることは、著作権法の営利を得ていることに抵触(テイショク)していると主張し、大手音楽教室などを訴えまくっているということだ。

 みなさんはどう思われるだろう?生徒が最新の楽曲を弾きたいというのを、著作権があるから諦めなさい。という選択肢を取るだろうか?生徒が著作権のある楽曲を持ってきた場合、JASRACに連絡をして著作権料を支払うだろうか?これは2択問題じゃない。私はどちらも間違っていると思う。
 法的にはJASRACが正しく、勝訴(ショウソ)しているという前提で話を進める。楽曲を弾きたい生徒の立場では、著作権に関して楽譜を購入した時点で、正当な著作権料を支払ったことになっている。また、個人で楽しむために行っているので、著作権法には抵触しない。だが、講師の方はどうなるのか?
 講師は確かにその楽曲を利用して営利を得ることになる。だがよく考えてみて欲しい。その講師は生徒を教えることが仕事だ。そこでどのような曲を選択するかは関係なく、どのような曲を選択しても、講師の報酬に変化はない。それなら、生徒が著作権のある曲を選択したからと言って、著作権者に金銭を払う理由にはならない。講師はその曲がなくても、同じだけの報酬を得るわけで、その曲による効果で営利を得ているわけではない。もしも、JASRACの主張が正しいとするのなら、ピアノ講師は著作権のある楽曲を生徒が選択したら、著作権料は生徒から徴収しなければ、ビジネスとしての「つじつま」があわなくなる。ところが、生徒は個人で楽しむために楽曲を購入しているのだから、著作権料は法的に免除されるのだ。結局、そこにスッキリした解決はない話なのだ。

 個人的にはJASRACに対しては大いに反対だ。発表会に潜入し、その曲を弾いている場合著作権の徴収をするというJASRACのスパイの様な行為にも、行き過ぎを感じる。
 特許なども同じだが、大切なのは著作権利者を守ることではなく、創作物やアイデアは、どこまで行っても「人類の宝」という考えが基本だ。この考えが理解できない人は、ノーベル賞も否定することになる。個人的には爆弾という殺人兵器を開発したノーベルは嫌いだ。私がノーベル賞を受賞する機会に恵まれても、必ず辞退する予定だ。受賞予定はないのだが。
 閑話休題。要するに、音楽のためになるのはどちらなのか?という、極めて単純かつ常識的な問いに答えがあると思っている。著作権者個人の営利など、微塵も気にならない。単なる他人事だ。
 私は、自分の音楽は決して売らない。私の曲は未来永劫無料で提供します。楽しむことが目的ですから。より多くの人が、心豊かになるために音楽は存在しているはずです。特定の個人が大儲けをするための物であれば、心はすさむだけです。
 特許だって出願から20年しか権利がないのだから、著作権だって作曲時から20年で切った方が、新たな創作意欲になる。死後50年なんてぬるま湯につかっているから、一発屋が増えるんですよ。やる気ない奴は音楽家を名乗らないで欲しいと思っている。大金を手に入れるために音楽を行っているなら、もう単なるビジネスです。ビジネスであれば、特許以上の権利がある理由はありません。

 音楽は人類の宝で、人類の物です。著作権なんて自分一人で作成したという証拠でもあるのですか?どうせ、過去の先輩の模倣をしているわけです。作曲の仕方は、好きな曲から覚えるはずです。その時点で既に人類の宝に、あなたも触れているわけです。その人類の宝の隅っこに、一文字くわえたあなたが、それほどの大業を成したと思っているのなら、それはあまりにおこがましいと私は思う。
 JASRACは、人類の宝を勝手に管理し、お金儲けに利用しているだけです。要するに見ているのはお金であり、音楽に向き合っているとは思えない。音楽を冒涜するような団体とは、私は一生関わらない。個人的にはそう思っている。
 これからも「音楽」という人類の宝に触れて、一人でも多くの方が、心豊かな人生を歩んでくれることを、切に願います。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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