「正義感」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
子供の頃は「正義」の定義は単純だった。人を苦しめる悪と戦う、正義のヒーローこそが正義であり、疑う理由もなかった。しかし、大人になると、誰が「悪」で、誰が正義のヒーローなのかが分からなくなる。そこにあるのは、個々人の「正義感」でしかなく、万人に共通する「正義」という定義はなくなってしまう。我々は、そのどうしようもなく曖昧な「正義感」に、しばしば心を奪われる。これはとても危険な「スナーク狩り」だ。
あおり運転が犯罪と認められるようになってから、車間が近いだけで「あおり」と称して後ろの車を「悪」と考えるものが増えた。そのような短絡的な者に問いたい。「あおり」の定義は何なのか?それはあなたの主観であって、単なるあなた個人の「正義感」でしかない。そんなものを認めるわけがないのだ。それはただの子供のケンカだ。裁判で白黒つければはっきりすることだ。あなたの主張を証明する術はない。録画をしても意味はない。あなたの主張は、単にあなたの下らぬ正義感であり、「後ろのやつが近づいてきたから、あおっている、悪いやつだ!」と決め込んだに過ぎない。「近い」の定義は何mmなのか?それすら示すことは出来ないだろう。これを「言いがかり」というのだ。
ご近所のインプレッサだろう?私が車庫入れのために車間を詰めて斜めに車を突っ込んだのが気に入らないのか?道路の真ん中で止まって、こちらを観察しているようだった。私は車を車庫入れして、とっとと家に入った。バカな野郎だ。家が分かったんだから、不服なら訴えてこれば良い。ケンカなら買ってやるぞ!どこの誰だか知らないけれど、ご近所さん。あなたの「正義感」は、他人に押し付けられるものじゃないってことですよ!やるなら徹底的に打ちのめしてやるよ。かかってこいよ!陰湿なやつだ。
「スナーク狩り」何かの童謡に書いてあったと思う。ある力の強い若者が、時々現れて人を襲うスナークを退治しようと、冒険に出かける。悪い人を見つける度に、スナークではないか?と駆けつけては、懲らしめていた。
何年も放浪を続けていた若者は、ある時「スナークが出た!」という言葉を聞き、急いでそちらに駆けて行った。しかし、人々は自分を指さして「スナークだ!」と言っている。何のことかわからず、自分に指をさしている者を襲おうとしたところを大勢の人に取り押さえられた。自分の「正義感」のみで行動を起こした若者が、スナークを追っているうちに、自分がスナークになっていることに気づかなったということだ。
あなたは自分の「正義」を押し通すことが、他人にとっての正義ではないことを知らなければならない。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ