「締め切り」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。第1,159回です。

 ものごとには大抵「締め切り」というものがある。いつまででも好きなように時間を使って良いというものは、他人を巻き込まない極少数の事柄だけだ。
 このブログだって「締め切り」がある。いやいや、自分で勝手に書いているんだからそんなの勝手にすれば良いじゃないか?と言われるかもしれない。しかし、それは違う。毎日更新することや、なるべく朝6時までにアップするということも「締め切り」を決めている。なぜなのか?それは、自分が弱い人間であると知っているからだ。

 みなさんは夏休みの宿題は、毎日コツコツとやった方でしょうか?きっと、最後の一週間で必死になってやっていた、なんて人が多いのではないでしょうか?私も出来ない方でした。というより、諦めて先生に叱られている方でした。要するに最後までやらなかった。しかも、親には「もう終わった」とウソを言っていた。だから勉強が出来るようになるはずもなく、進学校に行くこともなく、普通に高卒で就職する人が多いバカ学校を、バカな成績で卒業したに過ぎない。
 だから、自分のことはよく分かっているのだ。「締め切り」を決めて、他人の目で監視されなければ、私は自分にまけてしまうことを。

 仕事には納期という「締め切り」が必ずある。だから、100%の仕事など誰も求めてはいない。60%出来れば十分だ。周りを巻き込んでその精度を上げて行けば良いのだ。だから、抱え込んでいるだけで仕事が遅い人は評価できないのだ。いや、むしろ他の人の足を引っ張っていると知って欲しい。仕事は一人で完結するものではないのだ。必ず相手がいることを忘れないで欲しい。そのために「締め切り」があるのだ。そして、それは必ず守られるべきものなのだ。

 芸術などは自分が納得いくまで何年でもいじっているイメージが強いだろう。だが、私は芸術も長く時間をかけるのは良いこととは思っていない。
 例えば、ブラームスのようにピアノ協奏曲を2曲書くよりも、モーツァルトのようにピアノ協奏曲を27曲書く方が好きだ。
 自分を追い込んでどんどん作品を仕上げていくのだ。完璧など求める必要はない。強弱やスラーなど不足している部分は演奏家が埋めてくれるのだ。
 名作と呼ばれる作品はかなり短時間に書かれていると思っている。何かにとりつかれたようになっているはずだ。自分でも経験のあることだ。当然、後で「もっとこうすればよかった」と思うことはあるが、振り返っていたら、次には進めないので私はそんな気持ちを、無視することにしている。現在交響曲も25番になったのはそんな背景もあろう。

 いずれにしろ、ほとんどのことには「締め切り」が必要なのだ。なぜなら、人の一生にも「締め切り」があるのだから。自分の人生の「締め切り」までに何が出来るかを考えると、まだまだ足りないと思う。だから、後ろを振り返るのも無駄だし、「締め切り」を感じずにダラダラ行っている人のことは、全く理解が出来ませんね。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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