「あいまい」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 あいまいな表現をするということは、様々なことを知っているため、断定が出来ない。というより、「決めない」ことだ。その代わり、責任が重くなる。とある先生が言っていた。なるほど、そうかもしれない。
 報道を読んでいると、断定的な物言いが多い。「新型コロナウイルスの影響で業績が落ち込み・・・」本当にそうですか?業績悪化は経営力の低下なのに、そんな「あいまい」な報道はできないから、断定的な理由付けが必要だから、そのような書き方になるのではないだろうか?
 あいまいな色を付けるより、はっきりとした原色を塗りたいのは分かる。だが、赤い家や、緑の家、黄色い家や、青い家が映えるだろうか?もっと「あいまい」な色をしていないか?
 あいまいな表現をせず、はっきりと物を言うことは大事だ。だが、はっきりしない方が良いことも、世の中にはある。他人の死因を根掘り葉掘り聞く人はいない。あいまいな方が良い時もある。
 「あいまい」と言っても、優柔不断とは異なる。優柔不断は決められないのだ。決めることを恐れる。「あいまい」な人は、色々な可能性をさぐり過ぎ、断定が出来ない。学者タイプなのだろうと思っている。まあ、はっきりしないという意味では、まったく同じだが。
 経営においては、「あいまい」にして良いのは、交渉前の値段位のものだろう。他ははっきりと断定していかなければ、話にもならない。経営において、優柔不断で良い部分は全くない。優柔不断な人は、経営には向かない。
 文学は「あいまい」だからこそ、読者に想像をかき立てさせるという側面もある。すべてつまびらかにされてしまうと、興味がなくなる。だが、ビジネス文書では、「あいまい」な部分は残せない。このブログは両方ありだと思っている。今日の文章はいささか「あいまい」だったようだ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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